The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

排除という考えでは今後も現れ続けます

「入社式であまりに服装や態度が悪いという人がいて退席させた、いくら注意しても毎年このような人がいる」という話を聞いたことがあります。


入社する側がどのような気持ちでいるのか?はそれぞれかもしれませんが、「外見は関係ない」、「仕事さえ出来れば良い」等の信念が強いのかもしれません。


注意する側の普段の話から「最近の若い人は・・・」という感じにいかにも古い発想をお持ちで固定観念が強い・・・ずっとその考えなので毎年のように現れてしまうのかな?と思いました。


極端な話、合わせられない人間は排除したいという考えもあるかもしれません。

 


確かに厄介な人や面倒な人は排除したいという気持ちはわからなくはありません。


私自身も体育会系とか上下関係に煩かったりするような人は自分の前から消えて欲しい、言いなりになりたくないって思っていました。


けどそんなことは無理でした。


対立しても自分が嫌な思いするだけでした。


最終的にはそこにフォーカスしないことにより、自分の周りには現れにくくなりました。


何人かいたとしても他の部署だったり、接点がない上司とかだったりなので関わりとしてはほとんどありません。


以前は関わりたくはないけど対立心が災いして目を付けられたりでしたが、「もうそんなゲームはしたくない!」とエネルギー上、宣言したという感じでしょうか?


ゲームも電源を切れば出来ませんし、そこで交流を持った相手も連絡先を教えていない限り、交流は出来なくなりますよね?


そんなイメージです。

 


「排除したい」と思うこと自体、そこにフォーカスしていることになるのでその間、ずっと現れ続けてしまいます。


言葉では交わさなくても考えが対立しちゃえば出会ってしまうのですよね・・・


ただ企業で働く環境だと入社式の第一印象で違和感が出てしまうので立場上、なかなか難しい話です。


最近では面接でも私服OKの会社もあるぐらいなので「仕事さえできれば」という会社もあるでしょうが、現実的にまだまだ多くはありません。