The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

オンラインサロンは苦手でも馴染めなくても最低限のサービスだけ受ければそれで良い

色んな分野でオンラインサロンがありますが、雰囲気が苦手、実際入ってみると馴染めないと感じる方もいらっしゃるようです。


まさに私もオンラインサロン以前に何かのセミナーの集まりなんて大嫌いだし、馴染めない人間であることを自覚しています。


今までオンラインサロンに限らず、セミナーとか練習会とか・・・馴染むどころかいつも居心地の悪さを感じることがほとんどだったので本当に向いていないとずっと思っていました。


しかしそんな私も今、必要と感じたサービスや知識があるため、オンラインサロンに入会しています。


別に主催者のファンでもないし、サロンメンバーとも仲良くしたいとは思っていない・・・本当に向いていないことを自覚しながらの入会で必要最低限の利用という感じです。

 


オンラインサロンに入りたい理由はそれぞれかと思いますが、別に馴染めなくても最低限、自分に必要なサービスさえ受けられればそれで良いのではないでしょうか?


別に主催者のことが嫌いでも良いですし、ファンである必要はないのです
主催者だって100%真実を語っているとは限らないのですから合わない知識を無理に信じようとする必要はありません
サロンメンバーと仲良く出来なくたって良いのです

 


ちなみにオンラインサロンに限らず対面でのセミナー等にも言えることですが、閉鎖的な空間はどうしても宗教的に感じてしまうのでそのような部分が嫌いという方もいらっしゃると思います。


ある程度出来上がったコミュニティだと主催者と仲の良い古株メンバーがいたりで新規参入者は馴染めなかったり、強烈な信者がいて主催者を批判する意見を言うと反論されるとか・・・


そして主催者がとんだ勘違い野郎だったりするとファンでない人には冷たくするとかあるようですΣ( ̄ロ ̄lll)


以前、オンラインサロンで主催者に開催時間についての意見を伝えたらグループチャットで主催者が即反論し、さらには信者的なメンバーにまで反論され、挙句の果てには謝罪しても主催者は自分が悪いと理解していないという話を見掛けたのですが、開催時間でそこまで反論されるだなんて本当に驚きました。


人間誰しも好き嫌いはあるので仕方ないかもしれませんが、こんな人がオンラインサロン主催しているんだって・・・


しかもそのセミナーが高額となれば本当にとんでもない話です。


このようなコミュニティの場はトラブルも起こりやすいので何か意見がある時は多くの人が見れるグループチャットよりも個別に伝える、あるいは事務局のご意見フォームで伝えるという感じにした方が無難かもしれません。


余談ですが、自分の希望と合わないこと(例:開催時間やアーカイブの有無等)が多いコミュニティは元から合っていない可能性が高い気がします。


この辺は仕事探し等にも言えることで自分の希望とあまりに合わないところは基本、ミスマッチだったりします。


本来はご縁がなければ何らかの理由で参加できない仕組みになっているはずですが、参加できた場合は今後の判断材料のための勉強としてご縁がつながったという感じがほとんどでしょう。


これは私も経験があり、本当にお金と時間の無駄になりましたが、変な話、高い授業料と思うしかないですね・・・

 


私の感覚としてはオンラインサロンやセミナー等を開く主催者に人格者はほとんどいない・・・ある程度、図太い性格(ちょっと図々しいぐらい?)でないと存続は難しいのでは?と思います。


そのようなコミュニティの参加者は主催者のファンばかりではなく、単純に知識を知りたいがために利用している・・・さらにその中にはアンチもいるかもしれません。


私も昔、アンチとしてセミナーに参加したことがありますが、本当に正しい知識を知りたかった、真実を知りたかったからこそ、参加したという感じでした。


とにかくいろんなタイプの方が利用されるので何かクレームや意見があればその対応に疲れてしまいます。


その結果、常に周りを気遣う方、心配性な方は「自分には向いていない」と早めに終了してしまう可能性が高いです。


なのでそれを理解されている方は初めからそのようなコミュニティは開きません。


オールドソウルに何かを提供する側にいることが少ないのもそこを理解しているというのも理由の1つだと思います。


そもそもどんなコミュニティであれ、参加者がたくさんいれば意見が分かれてしまうのは当然の話であり、主催者の都合もあるので万人が満足するような運営は難しいです。


最終的には主催者がやりやすい方法、あるいは多数決で決めると思うので「自分の意見が無視された」ということもある・・・それは避けようがないかもしれません。

 


また、主催者も参加者たちにちやほやされればあまりの心地良さに天狗になってしまうこともあるでしょう。


「自分は絶対そんなことはしない」、「そんなつもりはない」と思っていても気付いたら天狗になってしまう可能性は誰しもあります。


その結果、部外者からは「何でこんな人について行くの?」と疑問を持たれます。


もちろん全員が全員、天狗になるとは限らない・・・あくまでそうなりやすいという話です。


この辺は参加者側も信者のように「この人の話は何でも正しい」という感じに主催者を引き立ててしまったり、「師匠」とか「先生」と呼んだりするのも天狗にさせてしまう理由の1つでもあります。


そう考えると主催者の人格も含め、多くは期待せず、一線引いた状態で利用する方が大きな痛手をせずに済みます。

 

生きづらい設定で生まれてきたとはいえ、覚えていないんだからどうしようもない

自分が選んだなら耐えなきゃいけない
乗り越えられないのは自分の問題

 


特にスターシードは前半生がハードモードであることが多いです。


私も色んな占いやリーディングより、特に前半生は生きづらさが色濃く出ており、本当に生きづらい人生でした。


だからこそ上記のような考えになってしまい、自責型スピリチュアルにはまってしまうこともあるようです。


正直私としては全くピンと来ない・・・っていうかそんな発想になったこと自体、ありません。


ハッキリ言って現世の今、そんな設定して来たなんて覚えていないんだからどうしようもないとしか言いようがないからです。


そんな考えだからこそ、自責型スピリチュアルにはまらないんでしょうね・・・


そもそもそんなスピリチュアル、近付いたことないですし、関わることがあったら大喧嘩して終わりになりそうです。

 


これも学び、あれも学び・・・だから受け入れなさい?

 

ハァ?


確かにそうかもしれませんが、どうせなら苦労せず、もっと楽に学びたいですよ・・・


苦労を美化するなんて冗談じゃない・・・


嫌なことは嫌に変わりないし、しんどいことはしんどいに変わりはない。


しいて言うなら学びと思うしかないぐらいだと思うんですよね。


自分で「これも学びだったのかも?」と後から自然に思うのが理想であり、誰かに言われて思うようなことではありません。


もし「生まれる前に自分が選んできたんだから・・・」と自責させるようなことを言われたら「そんなの知るかよ!」、「現世の今、そんな設定をしたなんて覚えていないのでどうしようもない」で良いのです。

溜息1000回や「ありがとう」1000回は本当の話?

溜息を1日1000回吐くことを3ヶ月続けたらうつ病になった
「ありがとう」を1000回言ったけど人生が好転しなかった

 


というような話を目にしたことがありますが、よく1000回も数えたなと思ってしまいます。


私であれば途中で何回したかがわからなくなり、投げ出してしまうでしょう・・・

 

実際やっている方もそこまで正確に数えていないかもしれませんが、ちょっと考えられないです。

 


前者はそのような実験を実際に行ったという話なのですが、この話、「溜息を1日1000回吐いたこと」ではなく、「溜息を1日1000回吐くこと自体のしんどさ」からうつ病になったのでは?という可能性もあるかもしれません。


そもそも溜息を1日1000回吐くこと自体が相当なストレスだと思うのです。


もっと言ってしまうとほぼ1分のうちに1回を3ヶ月も続けるだなんて自然に出る溜息の範囲を完全に超えているのでは?って・・・


結果的にこの話はうつ病になりやすい環境を3ヶ月かけて作り上げた・・・つまり成功したのは「うつ病になる実験」ではなく「自分を追い込む実験」なのかもしれません。

 


後者は「ありがとう」を1000回言うと人生が好転するという話を信じ、やってみたところ、好転しなかったという話だったのですが、機械的に言う「ありがとう」では現実を好転させる力はほとんどない気がするので効果ないのも無理ないのでは?と思いました。


そもそも回数を数えること自体、本来の感謝の意味とはズレていくような気がするのです。


感謝とは本来、何かを受け取ったと感じた時に自然に出てくるもので、「あと何回言えば・・・」みたいな考えながら繰り返すのは感謝ではなく作業みたいなものです。


回数を意識した瞬間、ありがたみは後ろに退き、数を達成することが目的になります。


そうなって来ると感謝とは言えなくなると思うのです。


もっと言ってしまえば「ありがとうを1000回言う」という発想は執着を生みやすくなるような気がするのです。


口だけで「ありがとう」と言っても「何に対して感謝しているのか?」、「自分がどう感じているのか?」が伴っていないと脳の反応はほぼ変わりません。


「言えば良くなるはずなのに・・・」、「こんなに言ってるのに変わらない」となってしまえば自己否定、焦りとなってしまい逆効果になります。


ただ「ありがとう」を1000回言ったことで効果が出た方もいらっしゃるそうなので全く効果がないという訳でもないようです。


「ありがとう」を繰り返すことで物事の見方が柔らかくなったり、「良くなるはずだ」と信じることでプラシーボ効果が出ることもあるようなのです。


しかし人生を変えるにはそれだけでなく、環境調整や助けを求める、休息等も必要になって来ます。


なので結論としては「ありがとうを言えば必ず好転する」というより、「ありがとうは心の状態を整える『補助輪』にはなり得る」という感じだと思います。

 


最後に・・・私はこのブログで何度も伝えていますが、「ありがとう」という言葉にこだわらなくても良いのでは?と強く思います。


感謝の形は色々あり、別の言葉・・・例えば「感謝します」だって良く、「助かります」や「嬉しいです」という感じに事実を伝える感じだって全然アリだと思うのです。


それだけでなく口頭にこだわらなくても良いと思っています。


体調の問題とかで声が出しづらい状況やタイミング的な問題から口頭で返せない状況もあるのですから笑顔で返したり、軽く会釈する、後から別の形で返すだって良いんです。


他にも相手には伝わりにくいですが、心の中で「ありがとう」等の感謝の言葉を伝えるのだってアリです。


これらの反応が自然な感謝の感覚から出ているなら、エネルギー的には口頭での「ありがとう」と変わらないのでは?と私は思うのです。


大切なのは回数ではなく、質・・・心がどこに向いているか?です。


また、毎回感情を込めないといけないのか?と言われればそうではなく、自然にそう感じた時に自分のペースで表すだけで十分なのです。


回数よりも自分の気持ちを大切にすることの方がずっと意味があります。

音や声に敏感な私

私は物心ついたころから音や声に敏感です。


3歳の頃からエレクトーンを習っていたこともあってか、絶対音感もあります。

 


そんなこともあってか苦手な音とかが割と多いかもしれません。


緊急地震速報の音はもちろん、時報の音も苦手で、サイレンの音なんかは夜中に聞くとなおさら恐怖を感じます。


音楽も明るめの曲でないと暗い気分になってしまいます。


特に暗め、悲しめな曲は恐怖を感じたり、涙が出て来ることがあります。


その中でも半音がぶつかることが多かったり、「シ」の音が多い曲は幼い頃から恐怖を感じていました。

 

音楽の時間も苦手な音がたくさんある曲を歌ったり、リコーダーで演奏する時は本当にしんどかったです。


全体的に明るめな曲ならともかく、悲しめ系は涙出そうになるぐらいにしんどい・・・
しかも合唱だとなおさら恐怖感が増すので逃げたい気分になることもありました。゜(゜´Д`゜)゜。

 


ソウルプラン・リーディングの精神世界の才能にクレアオーディエンスの数字が入っているので音や声に敏感なのもこれが関係しているのか?と思ったところ、少しは関係あったようですΣ( ̄ロ ̄lll)


私の場合、霊的な声が聴けるわけではないので完全なクレアオーディエンスというより、音のエンパスが該当するようですが、音のエンパスでも広い意味ではクレアオーディエンスに該当するようです。


クレアオーディエンスに限らず絶対音感を持っていたり、音に敏感な方は下降音階そのものや半音がぶつかる不協和音、突発的な高音、ループ音等が苦手に感じる方が多いとのこと・・・


「シ」の音が苦手だったのも「シ」は導音と呼ばれ、もっとも不安定な音・・・心が緊張を感じる音階でもあるのでこれを強烈に拾ってしまうようなのです。


特に駅メロや警報音はこの特性を利用することが多いので、敏感な方は疲れやすいとのことなのですΣ( ̄ロ ̄lll)


駅メロのように無機質な電子音で高めの音域で機械的に繰り返されると敏感な方は「刺さる」ように感じてしまうようです。


私もまさに駅の効果音が苦手・・・明るい音なら平気なのですが、いくつかの駅で使われている下がる音の効果音が幼い頃から苦手でした。


一番苦手な音は「ミ」と「シ」が組み合わさった音なのですが、これはかなり不安感を生む組み合わせなようで、音に敏感な私が苦手なのも無理ないようです。


幼い頃、出掛けた先の駅でこの音が組み合わさった効果音を聞くことがたまにあり、さらにもう1つの苦手な効果音もあればダブルパンチ・・・特に子供の頃は泣きたくなるほど苦手だったのでその駅で電車待つ時間が本当にしんどかった記憶があります。゜(゜´Д`゜)゜。


当時子供だった私は行くことを拒否出来ず、親にも「怖い」と言いづらかった(理解してくれない)のでただただ我慢するしかなかったという感じでした。


余談ですが、この「ミ」と「シ」が使われていた駅の効果音は不快に感じる方が多かったようで随分前に使われなくなったそうです。


最近はほとんどの駅で効果音が使われている気がしますが、音に敏感な私としては無音の方が気が楽です。

 


また、人の声にも敏感で声の質や話し方である程度の性格が読めてしまいます。


声のやり取りのないオンラインでのやり取りだと文章で判断するしかありませんが、対面だと一番印象的に感じるのは声です。


俗にいう声フェチかもしれません。


多くの方は話し方でわかると言いますが、私はどちらかというと声の質で判断している感じなのです。


「この声の人はこの性格」という言語化は難しいですが、苦手な声の質の方に共通するのは後にトラブルになりやすく、長く関係が続くことがありませんでした。


特にわかりやすい苦手な声の質の方に共通した特徴は「支配的」、「自信家」、「ヒステリック」でした。


最初は不快に感じた相手の声からのトラウマと思い、それほど意識していなかったのですが、その声の質の方に出会うと結果的に「ああ・・・やっぱり・・・」という感じになるのです。


他にも過去に早口な方がいて、ある日、自分の早口をとても気にしている話をされていたところ、その方の背後に幼少の彼女が親にせかされている様子を感じたことがあったのです。


なのでふと「もしかして小さい頃、よく親にせかされていた?」と私がその時に感じたことを聞いたところ「あ~!!!めっちゃあった~・・・」と妙に納得されていたのですΣ( ̄ロ ̄lll)


彼女の普段の声の質は私にとって特に悪い印象はなく、何だか早口にさせられているみたいな感じだったんですよね・・・


子育てをされている方だったのでその影響もあるのだろうと思っていたのでまさか・・・とは思ったのですが、自分の感じていたことが当たったのはビックリでした。


これもクレアオーディエンスが関係しているかと思いきや、経験から学んだ声の傾向と元からの洞察力から心理的洞察+過去のパターン認識が優れているらしいのですΣ( ̄ロ ̄lll)


ざっくり言って声に対する洞察力という感じでしょうか?


もちろんその声の質だからと言ってこのような性格だと断言はできない・・・全員に当てはまるとは限りませんし、一度ですべてを把握できるわけではありませんが、苦手な声は当たっていることが多いです。

 


逆に私の好みの声は落ち着いた声です。


どちらかと言うと低めの声が多いですが、誠実さを感じられると安心を感じるのです。


しかし好みの声であってもある程度、やり取りしていて「何か合わない」と判明することもありました。


声的には合っていても行動が伴っていなかったという感じだったので過信しないことも大事だったりします。

 

あくまでも私の好みなので人によっては「明るい声の方が良い」、「低めの声は暗く感じる」等、あると思います。


どのような声が好みかは人それぞれであり、良い悪いもありません。

 


私の実例に限らず「何故か怖い音がある」、「特定の声が苦手」と悩んでいる方もいらっしゃると思いますが、そんな自分を責めなくて大丈夫です。


寧ろその敏感さは自分を守るサインであり、必要な能力なので手放す必要はありません。


苦手な声や音は自分を守るセンサーであり、回避して良く、避けても良いのです。


特に声に関しては「声の質で人を判断するなんて失礼ではないか?」と思うことがよくありましたが、危険を回避できることを考えるとこのままで良いんだと思えるようになりました。


大雑把に言うとどこかで違和感が出たら離れるのが一番です。

 

学生時代、全く作文が書けなかった私が教える作文の書き方

ブログを書いていて思うのが、本当にブログって自由作文みたいなものだなと・・・


私はExcelでブログ記事の文章を書いているのですが、そう言えば学生時代は手書きで原稿用紙にそのまま文章書いていたよねって・・・


作文が苦手になる理由は色々ありますが、「いきなり原稿用紙を目の前にするから書けない」という理由もあるのでは?と気付いたのです。


いきなり原稿用紙に書くとなると「何を書けば良いか?」、「書き始めはどうするか?」、「文章が続かない等」・・・最初から文章にしないといけないというプレッシャーで手が止まりやすいです。


それだけでなくパソコンだと文章の入れ替えや新たに気付いた一文を追加や削除は簡単ですが、手書きの場合、都度、消しゴムで消して書き直すという作業が発生してしまいます。


私の場合、Excelにバーッと思い付いたことを書いたり、思いついた一文をいくつも書いたりという感じで書き、最後に整えるという感じで書いていますが、原稿用紙に手書きで・・・となるとそうはいきません。

 


世間では夏休みの今・・・作文の宿題が出ており、そこで悩んでいる人たちのために作文の書き方をレクチャーします。


まず原稿用紙は一旦仕舞いましょう。


その代わり何かいらないノートや紙を用意しましょう。


ノートは普通の大学ノートでも構いませんが、線のない自由帳の方がノートを自由に使えるという点で書きやすいかもしれません。

 


★テーマが「私の好きなこと」の場合
自分の好きなことであればとても書きやすく、説明しやすいと感じたのでこのテーマで説明させていただきます。


1.まず自分の好きなことをいくつか考え、思いついたら箇条書きで少し間を空けて次の好きなことを書く
例:お菓子を作ること、本を読むこと等・・・


1つしか思いつかなければ1つでも良いですが、いくつか考えておいた方が書ける幅が広がる可能性があります。


2.もし「今はそれほど好きではないけどこれから好きになりたいこと」、「好きまではいかなくてもちょっと興味があること」等があればそれも同様に書き足す
例:文章を書けるようになりたい等・・・


「好きなこと=本当に好きなこと」と思い付きそうですが、特に好きなことが思いつかないとか「自分が何が好きなのか?」すらわからない方もいます。


後、「好きなこと」を誰かに伝えるのが恥ずかしいという考えの方もいると思います。


であれば少し視点を変え、「別に今、好きではなくても良い」という感じにトピックの選択肢を広めると少しハードルが下がるのではないでしょうか?


ちなみにテーマが「将来の夢」の場合、将来の夢と言ったら「エンジニア」とか「パティシエ」等・・・職業を考えがちになりそうですが、これも必ずしも職業でなくて構わず、将来「こうなりたい」という感じに「幸せな家庭を築いていきたい」とかでも構わないんです。


あるいは今のところなりたい職業が決まっていなくても「特になりたい職業はないけど、コツコツしたことが好きなのでそのような特性がいかせる仕事に就きたい」という感じ自分の得意な特性の仕事があればそのようなことで仕事したいという書き方だってアリです。


3.その好きなことを書いた横に「どんなところが好きか?」という理由や詳細を書き足す


これは1の段階で書いてしまってもOK。


いくつかの好きなことの中にたくさん理由が思い付くことを今回のトピックにすると書きやすいはずです。


4.今回書くトピックが決まったらその書いた材料をどうやってつなぐか?を考える


作文の書き方とか起承転結とか色々ありますが、自分で違和感ない程度に納得いくつなぎ方で良いのかな?と思います。


色々書いた文章の上にわかりやすく書く順番の番号を振ってみても良いかもしれません。


5.上記の下書きが揃ったら原稿用紙に清書

 


夏休みの宿題であれば夏休みのこととか読書感想文等が多いと思いますが、上記のパターンで応用出来ると思います。


読書感想文であれば本を読んで自分の気になったトピックをいくつか挙げ、具体的に気になったことを書いて行くというようなイメージに・・・


あるいは上記で説明した方法でなくても私が書いているように自分が思い付いたことをいらない紙にバーッと書いてそこから最後にどの順番で書くか?等を決め、原稿用紙に清書でも良いです。

 


そもそも作文に正解はありませんし、上手い下手でもないと思います。


学校って正しさとか評価とかを求められますが、その枠にはめられてしまうと書ける幅が狭まってしまい、楽しくなくなる→嫌いになってしまうんですよね・・・


「正しく書こう」、「悪い評価にならないようにちゃんと書かないと・・・」と思って書くと自分の気持ちが伝わらなかったり、書かされていると言いますが、不自然な文章になってしまうこともあるでしょう。


上手く書いたって伝わらない方には伝わりませんし、上手くなくても伝わる方には伝わります。


たとえ文章が拙くても自分がこんなこと考えているという思いを伝えられればそれで十分だと私は思うのです。


私は今でも文章書くことは得意とは言えない・・・公的な文章やメール文なんて何度もチェックしたりで時間が掛かってしまいます。


ついで言うと自分の文章が恥ずかしいと思うことも良くあります。


けど書くことが好きなことに変わりはない・・・それはハッキリ言えます。


なかなかまとまらず、何ヶ月も放置とかありますが、1つの記事やお話が上手くまとまるとパズルのピースが揃ったみたいな感じに嬉しくなるんですよね・・・


自分の思っていることを書くことで自分自身が浄化されることあるし、同じような悩みがある方に参考になることもあるはずなのでそれで少しでも楽になれば私も嬉しいです。


上手い下手を気にするより好きなように書く・・・とにかく自分が書きやすい方法で書くのが一番だと思います。


そのためにはどんなこと書いても否定せず、受け止める環境も必要ではありますが、書くハードルを下げるテクニックも知っておくことでさらにハードル下がると思います。

 

実際、文章を書く際に使わない方が良い言葉とかありますが、まずは楽しく書けるようになることが先決であり、その後に教えて行けば良いのでは?と思います。


ちなみに私の書き方は話すようなイメージで書いているので正しい文章の書き方は完全に無視ですが、自分のブログだし、どこかに提出するわけではないので好きなように書いているだけです。

 


学生時代、作文が全く書けなかった私は今となっては7年で500記事以上書いています。
それ以前にもブログは書いていたし、小説というか絵のないマンガのようなお話を書くこともあるので実際はもっと書いていることにはなりますが・・・


ブログの記事も原稿用紙にしたら5~10枚以上書くことも多いですが、たくさん書けるようになった今、原稿用紙って文字数が意外と入らないものだと思うようになりました。


1枚400文字しか入らず、最初の1枚目の2行はタイトルと名前が入るのでそれを引いたらあっという間だよねって・・・


学生時代は5枚書けって言われたら「えっ?5枚なんて何書くの???」って感じでしたが、今となっては気付いたら5枚以上になっていたという感じです。


考えているうちに次々と書きたいことが増えてしまい、つい長くなってしまうし、何かの感想を書くのだって書き出すと止まらなくなることあるんで気付いたら「こんな長文、読む側も呆れるよね・・・」なんて思うこともあったりで・・・


作文に限らず、感想文、生活ノートのコメント欄等・・・とにかく自分の思ったことを書くことが一切出来ない子だったので当時、私を受け持った教師達がこのブログを見たらかなり驚くでしょう。

 

全く興味ないことであれば本当に何を書いて良いかわかりませんでしたし、自分の思っていることを知られたくないって言うか書くのが恥ずかしい・・・反応も怖かったという理由もあり、なおさら書けなかったんですよね・・・


学生時代、作文とか感想文をたくさん書く子って自己主張強くてキツい感じな子が多かったのでああはなりたくないってずっと思っていたのですが、たくさん書けるようになった私もまさにそうだよなって・・・


大人になってからは書くことが好きでも優しく寄り添ってくれるタイプに出会うことが多くなり、意識はしなくなりましたが、その辺から私も書けるようになりたいって思えるようになったような感じかと思います。

 


よく「作文は書けば書くほど上手くなる」、「思ったことを書けば良い」という話を聞いてもそれが出来ないから困っているのに・・・と思っていたのですが、書けるようになった今、本当にそのとおりだと思えるようになりました。


で、「どうしたら自分の思ったことを素直に書けるようになるか?」、「たくさん書けるようになるか?」は短い文章で良いので誰にも否定されない環境で自分の好きなことや興味あるトピックを好きなように書くところからスタートするのが一番良いのではないでしょうか?


他にも最近あったことや普段、自分が思っていること等も書きやすいトピックだと思うのでそのようなことを日記等に書く習慣を付けてみると書くことの抵抗は減っていくのかな?と思います。


日記と言ってしまうと「毎日書かないといけない」とプレッシャーになることもあるでしょうが、本当に書きたいことがなければ無理して書く必要はなく、本当に書きたいと感じた時だけで良いんです。


誰にも見せる必要ないから上手く書く必要はないし、たくさん書く必要もなく、たった1行で終わっても良い。


誰にも気兼ねせず書けるなら正直な気持ちも書きやすいので自分の感情を吐き出すことが苦手な方にも書くことはおすすめだったりします。


短い文章でも継続して書いていればいつの間にか長い文章が書けるようになることもあるし、書くことの楽しさみたいな感情も出て来るかもしれません。


普段から書きやすいトピックで文章を書く習慣があればテーマが決められていない自由作文は書きやすくなるはずです。


しかし実際のところ、作文の授業はテーマが決められていることが多く、どうしても興味のないテーマを書くことになったり、読書感想文と言えば本だけに限られていたりなのでそこでもう書けないってこともあります。


そのような時はそのテーマに関するトピックを親とか教える側がいくつか抽出し、質問してみると書けるようになるかもしれません。


これは書くことが苦手でほんの数行で終わってしまう子にも効果的だと思います。


もし話すことなら得意な子であれば話を聞いてメモしてあげてそれを見せる・・・実際にそのような話も聞いたことがあります。


読書感想文も本に限らず自分の好きなマンガやRPGゲームとかも許可されれば何枚も書ける子が増えると思うのですが、学校側でもそのような工夫って必要だと思います。


後は作文コンクールに提出するとかでない限り、書く枚数を指定しない・・・特に苦手な子は1枚書くだけでも本当に大変です。


原稿用紙2枚渡したら1枚でも良い、その半分でも良い・・・とにかく「書ける範囲で良いよ」と優しく声を掛けて欲しいものです。


無理に指定の枚数を書かせてしまうと文字数稼ぎでいい加減に書かれてしまったり、親に書いてもらったりとなるのでいつまでも苦手なままです。


だからこそ自然に書ける範囲で止めておいて、ちょっと気になる点があれば質問してみるみたいな感じにすると良いのでは?と私は思います。