The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

反面教師も教師の役割

学生時代に本当に不快だった先生のことを色々吐き出していたところ、タイトルの言葉をふと思いついたのです。


中学時代に出会った学年の中で一番若い20代半ばの女性教師だったのですが、具体的にこのような特徴がありました。


・自分に厳しく、他人に優しくという考え
・大勢の前でも名指しで注意する
・廊下で自分のクラスの生徒を怒鳴っていた
・何か気に障ることがあったようで部活をボイコットしたことがある
・大会近くでもないにもかかわらず、行事を優先してしまい、部活に出れない人に不満を抱く

 


まず若さゆえに厳しくなりがちと言いますか・・・あまり人を褒めるようなこともなかった記憶があります。


テストの返し方も「○○は良く出来ているけど、××が悪い」とか・・・


私としては「○○できているんだったらそれだけで良く、××が悪いは余計でしょ」って思いましたね・・・

 


そして大勢の前や人通りのあるところで注意したり怒鳴ったりするような行為はたとえ相手が悪かろうと生理的に受け付けない私としては本当に許せない先生でした。


特にこの先生のクラスにいた女子2人がよく廊下で注意されており、後に不登校気味になってしまったのですが、もっと理解ある先生が担任だったら・・・なんて思ったこともあります。


2人とも同じクラスになったことがありますが、大人しかった私に嫌なことを言って来るようなことはなく、困っていたら親切に声を掛けてくれたりと本当に根が優しい子だったのです。


もちろん中学になれば学校の勉強が難しくなったり、年齢的に難しい年頃なのでこの先生が原因で不登校になったとは限らないでしょうが、対応的な面で少しは影響あったのではないか?と私は思っています。


どういう訳か、今挙げた子達に限らず、部活でこの先生に嫌われていた部員(のちに先生と揉めて部活を辞めた生徒も数人)のほとんどは私に声掛けてくれたりと優しい子ばかりでした。


大雑把に問題を起こさず、何事も無難にこなしてくれる良い子ちゃんしか関わりたくなかったのかもしれません。


私にも最初は普通に接してくれましたが、反応の悪さからだんだんと愛想悪く接されるようになりましたからね・・・


どんな先生であろうと生徒の好き嫌いはあるでしょうし、なるべく問題起こさないで欲しいと思うこと自体、決しておかしいことではありません。


ましてやこの先生はクラスを受け持つのも初めてだったりで経験不足な面からどうしてもそのような関わりにならざるを得なかったのかもしれません。


若さゆえの固さもあったでしょうが、正論を突きつけるのではなく、もう少し生徒側の話を理解してあげても良かったのでは?って・・・


この先生の私への接し方を見ても嫌われていた生徒たちの方がよっぽど人としての優しさがあったので本当に不憫に感じました。

 


とにかく良い印象がひとっつもない大嫌いな先生でしたが、廊下で怒鳴っている姿とかは男子に馬鹿にされているぐらいだったのでやはり全体的には嫌われ傾向だったはずです。


ざっくり言ってしまうと依怙贔屓する傾向が強いイメージもありました。


当時の被害者生徒たちはほとんど納得できなかった・・・理不尽に感じたことが多かったのでは?と思います。


そんな訳で唯一、この先生が教えてくれたことは反面教師という役割の教師だったのではないか?って・・・


この先生は嫌な人の代表としてお手本を見せてくれたのです。

 


大体、何か気に障って部活ボイコットだなんて一般企業では考えられない話ですよ・・・


生徒が理不尽な対応して来てボイコットはともかく、そのようなシチュエーションではなさそうだったのでただの自己中なのでは?って・・・

 


大勢の前で名指しで注意したり、人の通りがあるところで怒鳴るなんて一般企業ではパワハラになる可能性もあります。


指導だから許容範囲?いやいや・・・言いたいことがあるなら人気がいないようなところで個別に注意する配慮をしないなんて相手の尊厳を踏みにじる行為ですよ・・・


配慮できなければ謝罪する等、それなりのフォローを最低限していれば生徒側ももっと心を開いて話せたかもしれません。


もし大勢の前で指導の必要があるのであれば連帯責任と言いますか・・・名指しではなく全体に対して伝えるべきであり、それこそ本来の指導だと私は思うのです。


そのような指導が出来るタイプはどちらかと言うと周りから怖いと思われているぐらい厳しい先生に多かった印象があります。

 

実際、その厳しい傾向にある先生も堂々と理不尽なことを言ったり、不快な思いをさせられたことはありますが、大勢の前で名指しで注意はしない、褒める時は個別で褒めるがきちんとできていたのでそこはまだ良かったです。

 


クラス、行事、部活・・・その時点で何が一番重要か?を考えれば部活が下になることだってあります。


特に行事なんて限定イベントなんですから部活より優先するのは当然の話です。


さすがに大会近くであれば部活を優先すべきでしょうが、そうでないにもかかわらず他の理由があっても部活に出ない生徒に不満を抱くなんて理不尽な上司と同じですよ・・・


何が何でも部活優先にして欲しいのであれば入部時に誓約書を書かせれば良いのでしょうが、それは強豪校でないと通用しないでしょうね・・・

 

今となっては時代の流れや経験を経て当時よりは落ち着いたでしょうが、依怙贔屓する性格は変わっていないと思います。


ただその依怙贔屓がわかりにくくなるような対応は出来るようになったかもしれませんが、完全にはいかないでしょうし・・・

 


反面教師という教師の役割をしてくれたとはいえ、私としては反面教師で相手を学ぶという考えはあまり好ましいことではないと思っています。


やられた側の立場としてはいつまでも覚えており、それが傷→恨みに変わってしまうこともあります。


若くて経験の浅い先生だったのである程度、目を瞑る必要はあるのかもしれませんが、教師という職業に若さや経験の浅さは通用しません。


生徒にとって教師は上司のような存在です。


教師は大人のお手本であれ、人格者であれとは言いませんが、特に小中学校は義務教育であり、人の人生を預かるような職業なのですからそのようなトラウマ的な辛い思いを残すような対応は本当に止めていただきたいと強く思います。


それに生徒側も反面教師ではなく、教師がそのような対応しているなら自分だって同じ対応をして良いんだという誤った知識を身に付けてしまうこともあるのでその点でも好ましいことではないと思うのです。


やはり誰かの未熟さや怒り方から学ぶより、尊敬出来る振る舞いから学べる方がお互いにとっても良いと私は思います。

 


今まで関わった嫌いな教師に対し、上から目線で嫌味なこと書いていますが、こんな発想する自体、私も十分、いじめっ子ですね・・・


はい。それは私も素直に認めます。


でもまあこれも平成時代の教師への置き土産ってことで・・・


嫌いな教師を吊し上げているようなことでしょうが、この嫌な経験を経て、卒業した今でも許せない先生がいる方にこんな考え方もあるんだということを知ることにより、少しは楽になるかなと思い、ネタにしました。


本当ならかなりどぎつい内容ですし、非公開にしたい要素が強かったので有料にしたかったのですが、我ながら面白い発想と感じ、無料で公開することにしました。

ネットで知り合った方とは会わない方が良い?

私が若い頃、タイトルのような話を聞いたことがあります。


ネットでやり取りしているイメージと違うというか・・・実際に会ったらあまり印象が良くなかったということが多いようです。


振り返ると私もそうかもしれません。


直接会うに限らず、電話で話すもそうですが、ネットでのやり取りより印象が良くなったという方は今までで一人もいませんでした。


やはりテキストメッセージでやり取りしていた時のイメージと違うよなって・・・


中には元から印象が良くなかった方もいらっしゃいましたが、それ以上、印象が良くなることはなく、その後はすぐに疎遠になりました。


さらには会ったことをネットで公開され、不快な思いをしたこともありました。


・・・と何だか会うことに否定的な感じで書いてしまいましたが、あくまで私の例であり、万人に当てはまることではありません。


本当に良い方もいらっしゃるでしょうし、会った結果、あまり印象良くないと感じたとしても「早めに合わないことがわかって良かった」でその後、やり取りを止めたって良いのですから本当に会ってみたい相手であれば直接会うのはアリだと私は思います。


もちろん会ってみて不快な思いをさせられる可能性もゼロではないのである程度、慎重になる必要はありますが・・・

 


しかし本当に印象が変わらないだろうと思う方程、直接会えないようになっているのかな?と思うことがあります。


もっと言ってしまえば本当に会ってみたいと思う方程、直接会うことに慎重になりがちで、結局会わずに終わってしまうものと言いますか・・・


昔、オンラインゲームで知り合ったメール友達から「直接会いましょう」という話になったことがあるのですが、直接会う前に疎遠になってしまったことがあります。


その方はとても誠実で優しく、いつも近況を長文メールで送ってくれ、私がどんなに愚痴を吐いても決して否定しない方だったのですが、その優し過ぎるところが怖くなってしまい、これ以上は申し訳ないと私の方から連絡を取らなくなったのです。


突然距離を取ってしまったことは本当に申し訳なかったのですが、当時の私としては「いつか嫌われるかもしれない」という恐怖に耐え切れなかったのです。


若い頃はどうしても自分に厳しくなりがちと言いますか、愚痴を言うような人は人として良くないとか、世間一般的な正論が正しいんだと思い込んでしまったりで・・・


今は世間的に以前よりも考え方が緩くなって来ましたし、選択肢も広まりましたが、当時はまだ我慢が普通みたいな時代でもあったのでなおさら甘えきれなかったみたいな感じだったんですよね・・・


今となってはあの優しさは本物であり、当時の私が未熟過ぎて受け取れなかったという感じではあるのですが、仮に会っていたとしてもそのような私だったのですぐに疎遠になっていたでしょう。


であれば良い印象のままで終わったことが正解だったと今では思います。

 


もしネットで知り合った人と会ってみたいけど、何か引っかかりがあり、会うのをためらっているのであれば今はまだ会う段階ではないのかな?と私は思います。


無理に会った結果、嫌な印象を残して疎遠になったり等、ということもあるので自然に会いたいという感情が沸くまでは無理に会う約束はしない方が良いかもしれません。


あるいは会ってみたくてもスケジュール的に都合が合わないという理由で会えない場合も今はまだ会う段階ではないのかもしれません。


実際、私も当時は転職を考えていたのでどっちにしろ会えなかった可能性が高かったと思います。


その結果、会う前に疎遠になってしまうこともあるかもしれませんが、それはそれまでの繋がりだったのです。


その中で特別というか、特に良い印象がある相手であればソウルメイト・・・それまでのやり取りを通じて大切なことを教えに来たために繋がったのかもしれません。


私が会えなかったという相手も本来の私の良さを教えに来たのかもしれません。


しかし当時の私はそれを受け取ることが出来なかった・・・


もし本当にツインレイレベル的なつながりがあれば何らかのかたちで再びつながる可能性はあると思います。

オンラインサロンは苦手でも馴染めなくても最低限のサービスだけ受ければそれで良い

色んな分野でオンラインサロンがありますが、雰囲気が苦手、実際入ってみると馴染めないと感じる方もいらっしゃるようです。


まさに私もオンラインサロン以前に何かのセミナーの集まりなんて大嫌いだし、馴染めない人間であることを自覚しています。


今までオンラインサロンに限らず、セミナーとか練習会とか・・・馴染むどころかいつも居心地の悪さを感じることがほとんどだったので本当に向いていないとずっと思っていました。


しかしそんな私も今、必要と感じたサービスや知識があるため、オンラインサロンに入会しています。


別に主催者のファンでもないし、サロンメンバーとも仲良くしたいとは思っていない・・・本当に向いていないことを自覚しながらの入会で必要最低限の利用という感じです。

 


オンラインサロンに入りたい理由はそれぞれかと思いますが、別に馴染めなくても最低限、自分に必要なサービスさえ受けられればそれで良いのではないでしょうか?


別に主催者のことが嫌いでも良いですし、ファンである必要はないのです
主催者だって100%真実を語っているとは限らないのですから合わない知識を無理に信じようとする必要はありません
サロンメンバーと仲良く出来なくたって良いのです

 


ちなみにオンラインサロンに限らず対面でのセミナー等にも言えることですが、閉鎖的な空間はどうしても宗教的に感じてしまうのでそのような部分が嫌いという方もいらっしゃると思います。


ある程度出来上がったコミュニティだと主催者と仲の良い古株メンバーがいたりで新規参入者は馴染めなかったり、強烈な信者がいて主催者を批判する意見を言うと反論されるとか・・・


そして主催者がとんだ勘違い野郎だったりするとファンでない人には冷たくするとかあるようですΣ( ̄ロ ̄lll)


以前、オンラインサロンで主催者に開催時間についての意見を伝えたらグループチャットで主催者が即反論し、さらには信者的なメンバーにまで反論され、挙句の果てには謝罪しても主催者は自分が悪いと理解していないという話を見掛けたのですが、開催時間でそこまで反論されるだなんて本当に驚きました。


人間誰しも好き嫌いはあるので仕方ないかもしれませんが、こんな人がオンラインサロン主催しているんだって・・・


しかもそのセミナーが高額となれば本当にとんでもない話です。


このようなコミュニティの場はトラブルも起こりやすいので何か意見がある時は多くの人が見れるグループチャットよりも個別に伝える、あるいは事務局のご意見フォームで伝えるという感じにした方が無難かもしれません。


余談ですが、自分の希望と合わないこと(例:開催時間やアーカイブの有無等)が多いコミュニティは元から合っていない可能性が高い気がします。


この辺は仕事探し等にも言えることで自分の希望とあまりに合わないところは基本、ミスマッチだったりします。


本来はご縁がなければ何らかの理由で参加できない仕組みになっているはずですが、参加できた場合は今後の判断材料のための勉強としてご縁がつながったという感じがほとんどでしょう。


これは私も経験があり、本当にお金と時間の無駄になりましたが、変な話、高い授業料と思うしかないですね・・・

 


私の感覚としてはオンラインサロンやセミナー等を開く主催者に人格者はほとんどいない・・・ある程度、図太い性格(ちょっと図々しいぐらい?)でないと存続は難しいのでは?と思います。


そのようなコミュニティの参加者は主催者のファンばかりではなく、単純に知識を知りたいがために利用している・・・さらにその中にはアンチもいるかもしれません。


私も昔、アンチとしてセミナーに参加したことがありますが、本当に正しい知識を知りたかった、真実を知りたかったからこそ、参加したという感じでした。


とにかくいろんなタイプの方が利用されるので何かクレームや意見があればその対応に疲れてしまいます。


その結果、常に周りを気遣う方、心配性な方は「自分には向いていない」と早めに終了してしまう可能性が高いです。


なのでそれを理解されている方は初めからそのようなコミュニティは開きません。


オールドソウルに何かを提供する側にいることが少ないのもそこを理解しているというのも理由の1つだと思います。


そもそもどんなコミュニティであれ、参加者がたくさんいれば意見が分かれてしまうのは当然の話であり、主催者の都合もあるので万人が満足するような運営は難しいです。


最終的には主催者がやりやすい方法、あるいは多数決で決めると思うので「自分の意見が無視された」ということもある・・・それは避けようがないかもしれません。

 


また、主催者も参加者たちにちやほやされればあまりの心地良さに天狗になってしまうこともあるでしょう。


「自分は絶対そんなことはしない」、「そんなつもりはない」と思っていても気付いたら天狗になってしまう可能性は誰しもあります。


その結果、部外者からは「何でこんな人について行くの?」と疑問を持たれます。


もちろん全員が全員、天狗になるとは限らない・・・あくまでそうなりやすいという話です。


この辺は参加者側も信者のように「この人の話は何でも正しい」という感じに主催者を引き立ててしまったり、「師匠」とか「先生」と呼んだりするのも天狗にさせてしまう理由の1つでもあります。


そう考えると主催者の人格も含め、多くは期待せず、一線引いた状態で利用する方が大きな痛手をせずに済みます。

 

生きづらい設定で生まれてきたとはいえ、覚えていないんだからどうしようもない

自分が選んだなら耐えなきゃいけない
乗り越えられないのは自分の問題

 


特にスターシードは前半生がハードモードであることが多いです。


私も色んな占いやリーディングより、特に前半生は生きづらさが色濃く出ており、本当に生きづらい人生でした。


だからこそ上記のような考えになってしまい、自責型スピリチュアルにはまってしまうこともあるようです。


正直私としては全くピンと来ない・・・っていうかそんな発想になったこと自体、ありません。


ハッキリ言って現世の今、そんな設定して来たなんて覚えていないんだからどうしようもないとしか言いようがないからです。


そんな考えだからこそ、自責型スピリチュアルにはまらないんでしょうね・・・


そもそもそんなスピリチュアル、近付いたことないですし、関わることがあったら大喧嘩して終わりになりそうです。

 


これも学び、あれも学び・・・だから受け入れなさい?

 

ハァ?


確かにそうかもしれませんが、どうせなら苦労せず、もっと楽に学びたいですよ・・・


苦労を美化するなんて冗談じゃない・・・


嫌なことは嫌に変わりないし、しんどいことはしんどいに変わりはない。


しいて言うなら学びと思うしかないぐらいだと思うんですよね。


自分で「これも学びだったのかも?」と後から自然に思うのが理想であり、誰かに言われて思うようなことではありません。


もし「生まれる前に自分が選んできたんだから・・・」と自責させるようなことを言われたら「そんなの知るかよ!」、「現世の今、そんな設定をしたなんて覚えていないのでどうしようもない」で良いのです。

溜息1000回や「ありがとう」1000回は本当の話?

溜息を1日1000回吐くことを3ヶ月続けたらうつ病になった
「ありがとう」を1000回言ったけど人生が好転しなかった

 


というような話を目にしたことがありますが、よく1000回も数えたなと思ってしまいます。


私であれば途中で何回したかがわからなくなり、投げ出してしまうでしょう・・・

 

実際やっている方もそこまで正確に数えていないかもしれませんが、ちょっと考えられないです。

 


前者はそのような実験を実際に行ったという話なのですが、この話、「溜息を1日1000回吐いたこと」ではなく、「溜息を1日1000回吐くこと自体のしんどさ」からうつ病になったのでは?という可能性もあるかもしれません。


そもそも溜息を1日1000回吐くこと自体が相当なストレスだと思うのです。


もっと言ってしまうとほぼ1分のうちに1回を3ヶ月も続けるだなんて自然に出る溜息の範囲を完全に超えているのでは?って・・・


結果的にこの話はうつ病になりやすい環境を3ヶ月かけて作り上げた・・・つまり成功したのは「うつ病になる実験」ではなく「自分を追い込む実験」なのかもしれません。

 


後者は「ありがとう」を1000回言うと人生が好転するという話を信じ、やってみたところ、好転しなかったという話だったのですが、機械的に言う「ありがとう」では現実を好転させる力はほとんどない気がするので効果ないのも無理ないのでは?と思いました。


そもそも回数を数えること自体、本来の感謝の意味とはズレていくような気がするのです。


感謝とは本来、何かを受け取ったと感じた時に自然に出てくるもので、「あと何回言えば・・・」みたいな考えながら繰り返すのは感謝ではなく作業みたいなものです。


回数を意識した瞬間、ありがたみは後ろに退き、数を達成することが目的になります。


そうなって来ると感謝とは言えなくなると思うのです。


もっと言ってしまえば「ありがとうを1000回言う」という発想は執着を生みやすくなるような気がするのです。


口だけで「ありがとう」と言っても「何に対して感謝しているのか?」、「自分がどう感じているのか?」が伴っていないと脳の反応はほぼ変わりません。


「言えば良くなるはずなのに・・・」、「こんなに言ってるのに変わらない」となってしまえば自己否定、焦りとなってしまい逆効果になります。


ただ「ありがとう」を1000回言ったことで効果が出た方もいらっしゃるそうなので全く効果がないという訳でもないようです。


「ありがとう」を繰り返すことで物事の見方が柔らかくなったり、「良くなるはずだ」と信じることでプラシーボ効果が出ることもあるようなのです。


しかし人生を変えるにはそれだけでなく、環境調整や助けを求める、休息等も必要になって来ます。


なので結論としては「ありがとうを言えば必ず好転する」というより、「ありがとうは心の状態を整える『補助輪』にはなり得る」という感じだと思います。

 


最後に・・・私はこのブログで何度も伝えていますが、「ありがとう」という言葉にこだわらなくても良いのでは?と強く思います。


感謝の形は色々あり、別の言葉・・・例えば「感謝します」だって良く、「助かります」や「嬉しいです」という感じに事実を伝える感じだって全然アリだと思うのです。


それだけでなく口頭にこだわらなくても良いと思っています。


体調の問題とかで声が出しづらい状況やタイミング的な問題から口頭で返せない状況もあるのですから笑顔で返したり、軽く会釈する、後から別の形で返すだって良いんです。


他にも相手には伝わりにくいですが、心の中で「ありがとう」等の感謝の言葉を伝えるのだってアリです。


これらの反応が自然な感謝の感覚から出ているなら、エネルギー的には口頭での「ありがとう」と変わらないのでは?と私は思うのです。


大切なのは回数ではなく、質・・・心がどこに向いているか?です。


また、毎回感情を込めないといけないのか?と言われればそうではなく、自然にそう感じた時に自分のペースで表すだけで十分なのです。


回数よりも自分の気持ちを大切にすることの方がずっと意味があります。