ジプシーになっても何らかのことは学んでいるはずです!

「色々学んだけどうまくいかない」、「色々セッションを受けてみたけど効果を感じない」等でジプシーになってしまうという話をよく目にします。


そこで「ジプシーにならないように・・・」とか「そろそろジプシー止めませんか?」的な言葉を見かけますが、好きでジプシーをやっているわけではありません。


もっと言ってしまえばそういうセラピストさんは相当、自分のセッションに自信があるのかな?とも思ってしまいます。

 


それを選んだということはその時の自分にとって必要と思ったからこそ、選んだのではないでしょうか?


その結果、良かったと思うことばかりとは限らなかったりします。


「思っていたのと違う」とか「不快な思いをした」ということもあります。


自分にとって悪いことでも必要な経験だったのかもしれません。


だからと言って「それも必要な経験」とか「すべてを受け止めて」等と一方的にクライアント本人を目の前にして言うのはあまりに思いやりがないような気もしますが・・・

 


私はジプシーであろうと一つ一つの経験の積み重ねで自分が求めているモノにたどり着けるのではないのでは?と思っています。


中にはすぐに自分に合うモノに出会えるという方もいらっしゃるかもしれませんが、なかなか出会えない方もいらっしゃいます。


自分にしっくりくるモノに出会えるまでにたくさんの過程を経てから出会えるということだってあるはずです。


それは受け入れられる準備がどれぐらいあるかにもよります。


すぐにしっくりくるモノに出会える方はある程度、心に余裕があったり、受け入れられる準備が出来ている方だと思います。

 


また、「セッションを受けてもアウトプットできない方は何を受けても効果はない」という話を目にしますが、アウトプットするにも個人差がありますし、アウトプットが苦手な方もいらっしゃいます。


私もアウトプットすることは苦手です。


もちろん手法や相性の合う合わないもあります。


このようなことは何かの勉強にも言えることです。


勉強も早く理解できる方もいらっしゃれば時間がかかる方もいらっしゃいます。


得意なことであれば理解は早いですが、苦手なことであると理解に時間が掛かります。


他にも勉強方法や教える側との相性も関係してきます。


それと同じようなことで変な話、アウトプットできない方を批判するような言葉は勉強ができない方を否定しているのと同じようなことです。


セッションの合う合わないや相性はありますが、セッションを受ける価値のない方はいません。

 


たとえ一つのセッションで効果が薄かったり、何も感じなくても一歩前進しています。
もっと言ってしまえばセッションを申し込んだ時点で一歩前進しています。


たとえ畳一目の変化であったとしても継続していけば必ず変化は出ます。


これは私が身を持って感じたことなので断言できます!


また、色々なセッションを経験された方は自分が経験したセッションを情報として発信することにより、これから受けようと思っている方にとっての情報源になります。

 


ですからたとえ周りに何を言われようと興味を持ったら積極的に受けた方が良いです。


もちろん一人のヒーラーさんや一つのセッションにこだわらず、色々な方から受けたり、他のセッションを試し続けるのだって全然アリです!


私自身、一つに固執するより、気になったセッションを色々受けてみたいと思っています。


また、セッションも非常に強力なヒーリングができる有名な方から受けたいと思っても有名な方は限られた枠しかなく、なかなか予約が取りづらいということが多いですよね?


受けたいと思ってもなかなか受けられないには理由があります。


その主な理由が「まだタイミングではない」ということです。


そのセッションで的を得ていることを言われたとしても受け入れる準備ができていないのかもしれません。


そのセッションを受けることにより相当な試練(変化)を要する可能性もあり、それを受け入れられる準備ができていないのかもしれません。


本人がとても受け入れられないようなことは試練として出てこないようになっています。


もっと言ってしまえばあまりにかけ離れていたりするとそのような情報には辿り着きません。


興味のないことは調べもしませんし、やみくもに探してもなかなか出て来ません。

 


逆に予約が取れたのであればその後の変化の受け入れ準備ができたということです。


もちろんそれでもしっくりこないということもあるでしょうが、それも「自分には合わない」、「もう少し自分に合うセッションがある」ということを知るためのセッションだったのかもしれません。


合わないのは相性の問題かもしれませんし、手法の問題かもしれません。

 


何事も実際に経験してみないとわかりません。


色々経験することにより、自分に合うモノがわかったり、その本質(真実)がわかってきます。


私は真実を知りたいという趣味から興味を感じたことは実際に体験しないと気が済まないのでたとえ自分に合わなくても「受けたことにより、真実を知ることができた」と思っています。


また、時代が変わるにつれ、どんどん便利なモノが開発されていくように、より効果的なモノ、より便利なモノを探し続けることは決して悪いことではないと私は思います。

 

一方的に質問されると言葉が出てこなくなる

パーキンソン病の父はデイサービスと在宅で言語リハビリを行っているのですが、「在宅の言語聴覚士とのやり取りの時は言葉が出て来るが、デイサービスの言語聴覚士とのやり取りでは言葉が出てこなくなる」という話を以前聞きました。

そのことを在宅の言語聴覚士の方に聞いてみると「デイの方では一方的に質問されるばかりではないか?」とのことでした。
父曰く、確かにそうだったようです。

なので「質問されたら、○○さんはどうですか?」という感じに逆に質問で返すと良いとのことでした。


私もこの話には妙に納得しました。

これはパーキンソン病等で言葉が上手く出てこない方でなくてもあり得る話だと思ったからです。

もし質問ばかりされ、言葉が出てこない場合は「○○さんはどうですか?」と逆に質問してみてはいかがでしょうか?

何事も躾のようにメッセージされるとますます受け入れられなくなる

感謝しなさい
自立しなさい
いつまで人のせいにしているんですか?
そろそろ許したら?


精神世界でこのような言葉をよく目にしますが、なんだかとっても耳の痛い言葉ですね・・・(-_-;)


このようなメッセージを送り続けられると何だか宗教的に感じます。


発信者側が本来の意味を知って発信されているかどうかは謎ですが、何事も躾のようにメッセージされてしまうと余計、不快な気持ちになり、なおさら受け入れたくなくなってしまうのでは?と私は感じていました。


しかしその発想は「自分が歪んでいるから?」とずっと思っていましたが、そんなことはありませんでした。


結果、本来の意味も知らずにただただ嫌な言葉で終わってしまい、最終的にはトラウマになってしまうということも珍しくないと思います。


例えば感謝の言葉は子供の頃、「ありがとうって言いなさい」と多くの方は躾けられたかと思いますが、感謝したくない事柄に対しても「ありがとう」という言葉を言う場面に出くわしたりして最終的には「ありがとう」という言葉が嫌いになったという方も珍しくありません。


また、精神世界では感謝の言葉は最高の言霊とも言われていますが、「意識して使うよりも自然と湧き出るものなのでは?」と私は思うのです。


自然に出た言葉は気持ちがこもっているので聞いていて気持ちが良いです。


逆に形式として感謝されると何だかこっちまで気分が悪くなりませんか?


誰かを許すことも無理に許すのではなく、自然と考えなくなる・・・忘れていくのでは?と思います。


いずれの言葉も誰かに言われて行動しなくてはいけないというより、余裕が出てくれば自然とできるようになるものではないかと私は思います。


そもそも本当にその言葉をきちんと理解し、体現できている方は他人に強要しません。
本当に感謝の心を持っている方は他人に「感謝しなさい」とは言いません。
本当に自立されている方は他人に「自立しなさい」とは言いません。
本当に自分のことが好きな方はむやみに「自分のことが好き」とは言いません。
本当に幸せであれば「幸せになりたい」とは思いません。


何故強要しないか?は強制するようなことではないからです。


こんなことを書いてしまうと「じゃあ感謝しなくて良いんだ」等と思うかもしれませんが、そうではなく、自然と湧き出るようになるのです。


この辺は感覚で受け取っていただけたらと思います。

レイキに携わっている方は変人?

数年前、「レイキをやっている人って変な人が多い」という話を聞いたことがあります。


ちなみにその話に出てきたレイキをやっている方は某有名占い師のような感じでかなりキツイことを言ってきたとのことでした。


この話を聞いてなんとなく納得できる部分と「レイキに限らず言えるのでは?」と思う部分がありました。


レイキは古くからのヒーリング手法ですし、特に長年一筋で携わっている方としてはプライドもあると思います。


もちろん全員が全員ではありませんが、その辺から上から目線に感じたり、プライドが高い等と感じやすいのかもしれないというのは私もなんとなく感じていました。


しかしレイキでなくても「ちょっと・・・」と思う方はいらっしゃるので一概にレイキやっているからと一括りにはできません。


レイキに携わっていなくても「これさえマスターすれば他のはいらない」という方や言葉には出さなくても「私の言っていることはすべて正しいからすべて受け入れなさい」というオーラを感じてしまう方もいらっしゃいます。


自分の考えや自分の持っている商品を批判されたくないがために自分の考えを主張したり商品を過剰に宣伝してしまったりということはよくあることだと思います。


特に何かに一筋な方はそのような傾向が強いのかもしれません。

「あなたのためを思って言っている」は結局は自分のため

私はあなたのためを思って言っている
あなたが将来、後悔しないように厳しく言っている

 


等、相手のためを思って指摘するという話を聞きます。
しかし本当に相手のためを思って言っているのでしょうか?

 


実は相手のためではなく、自分のためなのではないか?と思うことがしばしばありました。


例えば転職しようと上司に退職する旨を報告する際、「あなたはこういうところがあるからそこを直さないとどこ行っても上手くいかない。うちの会社なら・・・」なんて引き止められたとします。


しかし結局はこれ、あなたに退職されたら困るからこそ、言っているのです。


こう言えば辞めずに済むという考えです。


本当に必要とされなければこのようなことは決して言いません。


これは実際に経験したことなので断言できます!

 


別の例で「あなたにはもっと良くなってもらいたい。だから厳しく言っている」というのもそうです。


どうせ指摘していただくのであれば厳しくされるよりも優しく指摘される方が良くないですか?


そもそも「もっと良くなってもらいたい」だなんて「今のままではダメなのか?」って相手のセルフイメージを下げてしまうような行為になります。


中には厳しくしていただきたいと思う方もいらっしゃるかと思いますが、全員が全員そうではありません。

 


これも結局は自分が言いやすいからこそ、そのように言ってストレス発散しているということもあるのです。


パワハラなんかが特に当てはまります。

 


指摘する本人としてはそういうつもりはなくても過度な指摘は相手をコントロールしているようなものなのです。


考え方はそれぞれであり、どんな道を選ぼうと最終的に選択するのは本人です。
それを邪魔するような行為は相手に迷惑になります。


余計な指摘をした結果、相手が悪い方に進んでしまい、後悔させてしまうようなこともあるのです。

 


もし本当に相手のことを思っているのであれば何も指摘せず見守るが一番かもしれません。


もっと言ってしまえば自分が嫌いと思っている方や信頼できない方の意見は聞かないという方がほとんどなので言っても効果はないと思います。