「友達100人出来るかな?」という歌があり、この歌が大嫌いという話をよく目にします。
嫌いな理由はそれぞれかと思いますが、「友達のいない人や少ない人はダメなのか?」という印象を感じてしまうようです。
確かにこのような歌があるということもあってか、「友達はたくさんいた方が良い」という印象が根付いてしまっている気がします。
ちなみに私は嫌い以前に「100人って言ったら学年のほとんどになるのでは?」ということが気になっていました。
となると一度も話したことない子までも友達?
もっと言ってしまえば1学年1クラス数人しかいないような学校だと100人も何もないのでは?と・・・
って・・・ここまで考えて作詞したわけではないでしょうが・・・
どのような意図で作詞されたかはわかりませんが、「学校にいる子はみんな友達」ってことなんでしょうかね?
学生時代、クラスの子はみんな友達と思っている子がいましたが、私はそれってちょっと微妙と思っていました。
そんなむやみやたらに誰かを友達と発言してしまって良いのだろうか?と・・・
私は親しくしていた子でも友達と発言してしまうのが申し訳なく、自分からはなかなか言えませんでした。
そもそも友達の定義っていったい何でしょうか?
いつも一緒にいる人
何でも気軽に相談できる人
SNSで繋がっている人
クラス(職場)の人全員
一度でも話したことある人
友達と思えるのは上記2つが多いと思います。
SNSでつながっている人は交流の仕方にもよるでしょうが、メッセージのやり取りがほとんどなければ友達とは言えませんよね?
同じクラスや職場やサークルのメンバーはそれほど親しくない限り、クラスメイトとか仲間という感じだと思います。
一度でも話したことある人はとても意気投合してしまってすぐに友達になったということはあるでしょうが、初対面でそこまで行くのはほんの一握りだと思います。
そもそも友達って必要でしょうか?
確かに友達がたくさんいればいるほど困ったときに気軽に相談できる範囲は広いでしょうが、必ずしも友達でなければいけない訳ではありませんよね?
友達とまではいかなくても知り合いだったり、クライアントさんだったり、ご近所さんだって良いのですから・・・
私の家も出来ないことはそれができる近所の方や知り合いに頼むことがあります。
専門的なことは業者や公的な機関に相談すれば良いでしょうし、なかなか言えない相談なんかも自分に合いそうなセラピストを探せば良いのですから・・・
であれば友達はゼロでも特に問題はないのでは?と私は思います。
もっと言ってしまえばどこまでを友達と定義するかは人それぞれなので一概に「友達はいた方が良い」とは言えないのでは?と思います。
友達はいらなくても親友は欲しいという考えもあるでしょうし、パートナーや家族がいれば十分という方だっていらっしゃいます。
友達がいらない理由としては人間関係が面倒とか依存関係になってしまうのが嫌とか色々あると思いますが、この辺は個人の自由です。
一人でいることが好きという方だっていらっしゃいます。
逆に友達がいる人は依存しやすいとかいない人は孤独というデメリットも一概に決められることではありません。
また、独りぼっちとか孤立という言葉はあまり良いイメージがないと思う方は多いと思いますが、これらは地球にいるからこそ経験できることという話を最近、知りました。
そう考えればマイナスなイメージは減るのではないでしょうか?