The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

どこまでが愛になる???

今日はバレンタインということで愛に関するネタを考えてみました。


とは言っても恋愛関係以外での愛についての話になります。


精神世界では「愛」って言葉をよく聞きますが、どこまでが愛なのか?って思ったことありませんか?

 


恋愛関係以外で自分にとって愛と感じることと言えば・・・
何かをやってくれた(奉仕)
何かを与えてくれた(プレゼント等も含む)
優しくしてくれた(偽善の優しさとかではなく)
本音を伝えてくれた
気持ちを理解してくれた

 


う~ん・・・いざ列記してみるとなると色々ありますね・・・


最後の「気持ちを理解してくれた」ですが、たとえばこんなことも愛なのかな~?と私は感じます。


ちょっと嫌なことがあって「おはよう」の挨拶できなかったけど、「今は挨拶する気分じゃなかったのかな?」等、何も言わずに理解してくれたとか・・・


確かに挨拶無視されると寂しいけど、相手が何らかの理由でそんな状況じゃなかったんだろうな・・・って理解してくれると私は嬉しいです(*^^*)


こんな風に一見、ネガティブなことをされても「何かあったんだ」という感じにきちんと受け入れてあげることも愛なのかな?と私は思います。


で、ネガティブなことをした側も「実はこんな状況だったんだ・・・」と本音を伝えることも愛の1つと感じています。


これもちょっと勇気のいることだったりします。


ネガティブなことをされると相手を責めてしまったり、自分が傷ついたとショックを受けたりとなかなか難しいことかもしれません。


このようなことがスムーズに出来るのは相手を信頼しているからこそできることとも感じています。


もちろん意図的に人の嫌がることをやってしまったり、いじめるような行為となると話は別ですが、誰しも「悪気はなかった」、「そんな気分じゃなかった」的にネガティブなことをしてしまうことはあります。


そんな時、どこまで許すというか相手を理解できるか?ですよね・・・


今の例だと「挨拶は基本なんだからしないとダメ」でシャットアウトしてしまったり、「挨拶しても無視された~感じ悪い!」と思ってしまうのであれば相手をもう少し観察する必要があります。


別の日にちゃんと挨拶を返してくれたのであれば「あの時はたまたま挨拶できる状況じゃなかった」、「聞こえなかったのかも?」等と理解できるはずです。


しかしそれでも挨拶を返してくれないとなれば「挨拶しても無視されるのって私は寂しい」等、直接本人にそれとなく本音を言ってみる・・・これも愛です。


ただ相手が挨拶するのが苦手等と言って来たのであれば共感までは出来なくて良いけどそこも理解する・・・これも愛です。


挨拶は基本だろうが常識だろうが、苦手な方もいらっしゃるという知識も知っていれば許容範囲も広がります。


まずは「そう言う考え方もある」って感じに共感までできなくて良いけど、色んな意見を理解していくことも愛の1つなのかな?と私は思います。

 


なのでこ・れ・も・愛~・・・あれも愛~・・・たぶん愛~・・・きっと愛~・・・


と言いたいところですが、一方的に自分の意見を押し通すのは愛とはかけ離れてしまいます。


愛は自然と湧き上がるものであり、押し付けるものではありません。


この辺はあまり上手く説明できない・・・そもそも言葉を使う以上、言葉で説明するって限界あるんですよね・・・


ただハッキリ言えるのは「これも愛の1つ」と誰かに押し付けられたり、何らかの違和感があるにもかかわらず「これも愛だから受け入れないと・・・」となってしまうのであれば無理に受け入れる必要はなく、自然と「愛だな・・・」と感じることだけで良いのではないでしょうか?


その積み重ねによって本物の愛を感じやすくなるのでは?と私は思います。