私は「それぐらい自分でやりなよ」とか「自分でやりなさい」という言葉を掛けられることが昔から大嫌いでした。
私は生まれつき非常に手先が不器用なので子供の頃は手先を使うことや手作業系の宿題は母の手伝いがないと上手くできないことがほとんどだったのです。
美術や工作系は手伝いがあってもどうにもなりませんでしたが、家庭科の裁縫は授業時間は適当にやり過ごし、家で母にやり直してもらって提出したぐらいです。
ちなみに美術も工作も将来的に関係あるような仕事に就かない限り、役立つことはありませんし、裁縫だってボタン付け程度で十分と思っていたので手伝ってもらうこと自体に罪悪感はそれほどありませんでした。
大人になって作れなければ作れる方に頼んだり、新しく買うことだって出来るのですから・・・
手伝ってもらったことがバレ、成績に影響する可能性もあるかも?とは思っていましたが、それ以前に出来ないから仕方がないって感じでした。
実際、上手くできないと馬鹿にされることもあったので「不器用でも自分でやった方が良い」という発想はこの当時から理解できませんでした。
誰しも得意不得意あるのですからすべてのことが出来るようになる必要はないのです。
しかし単純な手作業や髪を結わくことでさえやってもらっていたぐらいだったのでそこを周りに否定的な目で見られることが辛かったです。
「自分でやらない人間は恥ずかしい人間???」と思うようになり、誰かに頼ることに抵抗を感じるようになりました。
しかし単純な手作業や髪を結わくことでさえやってもらっていたぐらいだったのでそこを周りに否定的な目で見られることが辛かったです。
「自分でやらない人間は恥ずかしい人間???」と思うようになり、誰かに頼ることに抵抗を感じるようになりました。
しかし自分ではどうにもならないこともありますし、頼ることにより負担が軽くなることもあります。
やはり自分より得意な方が作業した方が自分でやるより上手くできますし、作業も早いです。
だからこそ、苦手なことや面倒と感じることは得意な方や好きな方に頼った方が自分も助かりますし、相手も好きなことで貢献できると嬉しさを感じます。
ちなみに今は自分で髪の毛やっていますが、ちょっと遠出する時なんかは今でもたまに母がやってくれることあります。
アラフォーのいい大人なのにいまだに髪の毛やってもらってるなんてマザコンだの何だのって思うかもですが、家にスタイリストがいると思えば別に恥ずかしいことではないと思えるようになりました。
私の母が出来るからこそやってくれるだけで私自身、やってもらって当たり前とは思っていません。
今思えば子供の頃、否定的な目で見られていたのはやってもらえて羨ましいという嫉妬も入っていたのかもしれません。
実際、高校でもお母さんに髪を結わいてもらっている子、他にもいましたし・・・
その代わり私はネットで何か購入したり、スマホでメールを打つのが苦手な母の代理で作業することもあります。
ただ、頼るという行為には自己責任が発生しますので上手く対応できなかったからと言って責めることはできません。