The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

良くない振る舞いをしている方は必ず痛みから行動している

私は子供の頃から「完全な悪人なんていない」と思っていました。


テレビ等を見ていても犯罪的なことをしてしまった人に対し、「よっぽどだったのだろう」とか「ちょっと魔が差したのかもしれない」等、そうせざるを得なかった理由があったと思ってしまうのです。


また、自分に対し、いじめてしまう(例えば過食等・・・)ことも「本人にしかわからない辛さがあるのだろう」と思います。

 


しかしそのことは頭にあっても私に酷いことをしてきた人達は誰一人許せませんでした。


自分自身のパワーが奪われている状態なのでそこまで考えられなくなってしまうのも無理はないのですが・・・


やはり自分に対し、酷いことをしてきた人をそう簡単に許すというのは難しいので無理に許す必要はないと私は思います。


無理に許すより、上手く行っている時のことを積み重ね、だんだんと過去の嫌なことにアクセスしなくなるというイメージの方がスムーズなような気がするのです。

 

 

「いじめられる自分が悪い」というような考えもありますが、いじめられる事柄がどんな理由であっても何をしても良い訳ではないのですからその発想は違うと思うのです。


自分に対し、虐待やいじめ等、酷いことをしてきたのであれば自業自得という感じにやられっぱなしではいけません。


虐待やいじめにまで発展するとなると直接話をしても解決できないことがほとんどなので外部を頼るとか別の環境に置くことが必要です。