「相手の気持ちを考えて行動しなさい」という言葉を学校等で誰もが一度は耳にしたことがあるかと思います。
特に小中学校時代の学級目標等にも多かったかもしれません。
確かに「相手の気持ちを考えて行動する」は大事かもしれません。
しかし私は物心ついたころからその言葉に違和感がありました。
別に相手のことを全く考えていないわけではない
行動するのが恥ずかしかった
行動できる余裕がなかった
自信がなくて行動出来なかった
実際、私も今挙げたことを思うことがあったので「そんな言葉で片付けられたくない!」と思うことがよくありました。
大人になるにつれ、「相手の気持ちを・・・」と言っている方ほど相手の気持ちを考えず、自分の考えを押し付けているだけでは?と思うようになりました。
例えば仕事で「相手のことを考えてもう少しスピーディーに仕事をしてください」と言われたとします。
しかし出来ないことだってあります。
たとえ定型業務で慣れている業務だったとしても何らかの理由でスムーズにいかないこともあります。
その業務が苦手かもしれません
全体的な仕事量が多く、さばき切れないのかもしれません
その業務にトラブルが生じ、苦戦しているかもしれません
突発的な業務が入ってこなせないのかもしれません
体調が悪かったり、何か嫌なことがあり、仕事に集中できないのかもしれません
それがその方にとっての限界かもしれません
すぐにこの言葉が出てしまう方ほど「何故そうなったのか?」の理由すら聞かず、「相手の気持ちを・・・」と言ってくることがほとんどです。
相手の現在の状況も考えず、勝手に自分の考えを押し付けているというかなんて言うか・・・
もうこの時点ですでに責められている側である相手のことを考えていないということになります。
本当に相手のことを考えて行動できる方であればそれを言う前に「何故そうなったのか?」等と聞いてくるはずです。
仮に聞いてきたとしてもその後に「仕事なんだから・・・」等と相手の気持ちをシャットアウトする発言も相手の気持ちを受け入れていないということになります。
もっと言ってしまえば本当に相手の気持ちを考えて行動できる方はむやみに「相手の気持ちを・・・」という言葉は他人に言いませんし、シャットアウトするような発言もしません。
言われた側も仕事だからということはわかっているはずなのでそのようなシャットアウト的な言葉も聞きたくないはずです。
とはいえ、どうフォローして良いかわからないからシャットアウト的な発言になってしまうというのはあるかもしれませんが・・・
そもそも完全に相手の気持ちがわかる方なんていません。
特に自分で体験したことないようなことなんてわかりません。
相手の気持ちを考えていない訳ではなく、その場の状況やら何やらでできないことだってあります。
スピリチュアルに触れるようになってからは「相手の気持ちを・・・」ではなく「自分だったらどうされたいか?」という軸で行動すれば良いと思うようになりました。
自分がこうされたら嬉しいからとそのように対応した結果、相手にとっては迷惑になってしまうこともあるかもしれませんが・・・
自分が対応されたら嬉しいと思うようなことを他人にやってあげれば同じような方が寄ってきますし、そうでなければ離れて行きます。
もちろん自分に余裕がなく、思うように対応できないこともありますが、それは「今は何らかの理由で助ける必要はない」と解釈しています。