The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

何事も躾のようにメッセージされるとますます受け入れられなくなる

感謝しなさい
自立しなさい
いつまで人のせいにしているんですか?
そろそろ許したら?


精神世界でこのような言葉をよく目にしますが、なんだかとっても耳の痛い言葉ですね・・・(-_-;)


このようなメッセージを送り続けられると何だか宗教的に感じます。


発信者側が本来の意味を知って発信されているかどうかは謎ですが、何事も躾のようにメッセージされてしまうと余計、不快な気持ちになり、なおさら受け入れたくなくなってしまうのでは?と私は感じていました。


しかしその発想は「自分が歪んでいるから?」とずっと思っていましたが、そんなことはありませんでした。


結果、本来の意味も知らずにただただ嫌な言葉で終わってしまい、最終的にはトラウマになってしまうということも珍しくないと思います。


例えば感謝の言葉は子供の頃、「ありがとうって言いなさい」と多くの方は躾けられたかと思いますが、感謝したくない事柄に対しても「ありがとう」という言葉を言う場面に出くわしたりして最終的には「ありがとう」という言葉が嫌いになったという方も珍しくありません。


また、精神世界では感謝の言葉は最高の言霊とも言われていますが、「意識して使うよりも自然と湧き出るものなのでは?」と私は思うのです。


自然に出た言葉は気持ちがこもっているので聞いていて気持ちが良いです。


逆に形式として感謝されると何だかこっちまで気分が悪くなりませんか?


誰かを許すことも無理に許すのではなく、自然と考えなくなる・・・忘れていくのでは?と思います。


いずれの言葉も誰かに言われて行動しなくてはいけないというより、余裕が出てくれば自然とできるようになるものではないかと私は思います。


そもそも本当にその言葉をきちんと理解し、体現できている方は他人に強要しません。
本当に感謝の心を持っている方は他人に「感謝しなさい」とは言いません。
本当に自立されている方は他人に「自立しなさい」とは言いません。
本当に自分のことが好きな方はむやみに「自分のことが好き」とは言いません。
本当に幸せであれば「幸せになりたい」とは思いません。


何故強要しないか?は強制するようなことではないからです。


こんなことを書いてしまうと「じゃあ感謝しなくて良いんだ」等と思うかもしれませんが、そうではなく、自然と湧き出るようになるのです。


この辺は感覚で受け取っていただけたらと思います。