The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

社交辞令が苦手でも良い

よく大型連休の時なんかに「素敵な連休をお過ごしください」等、使う方がいらっしゃいますが、私はこのようなことを誰かに言ったことはありません。


というより思い付かないから言えないのです。

 


「どうすればそのような言葉が出て来るんだろう」と思っていたこともありましたが、別に言えなくても良いのかな?と思うようになりました。


たまに言うならともかく、毎度のようにこのようなことを言って来られると「本当にそう思ってる?」と疑ってしまうようになったのです。


言っている本人としては深い意味はないかもしれませんが、これが俗にいう社交辞令なのだろうか?って・・・


心が歪んでいるとか思うかもしれませんが、あまりたくさん使われるとありがたみもないっていうか・・・それが形式的な自然の反応になっちゃっているんじゃないか?って・・・


確かに体調が悪かったり、本当に忙しくてやっと休めるって時に「ゆっくりお休みくださいね」は嬉しいですが、そうでない時ってどう返して良いかわからないのです。

 

 

大型連休だろうがクリスマスだろうがいつもと同じような過ごし方をしたり、色々忙しく、休日らしく過ごせない方もいらっしゃいます。


あるいは休日そのものが嫌いで仕事していた方が良いという方もいらっしゃいます。


それが良い悪いとかではなく、いろんな事情や考えがあるのでむやみに言わない方が良い気もするのです。

 

 

また、「被害に遭われないよう、お祈りいたします」、「皆様の健康をお祈りいたします」等のお祈り系は毎度のように言われると重たく感じます。

 

本人にとってはそれが良かれと思っての言葉なのかもしれませんが、もっと軽くて良いのでは?と思ってしまいます。

 


他にも「いつでも連絡してね」とか「今度遊びに行こうね」というような言葉も以前はすぐ真に受けていたのですが、そのような言葉をよく使う方こそ、返信が来なかったり、実現しないということに気付き、これも社交辞令なのか・・・と思うようになりました。


全部が全部そうとは限らない・・・単にタイミングが合わないとかあるかもしれませんが、いずれにしろ縁が薄い可能性があります。


そもそもその気もないのに甘い言葉で誘うということ自体が私自身、考えられないのです。


何だか嘘を付いている感じでモヤモヤしそうなのです。


もちろんその時、その気があれば私もそのような言葉を使うことはありますが、気のない相手にまでそのようなことはしたくないというより、出来ません。


もっと言ってしまえばそのような関係を続けていたらどんどんそのような方が寄って来て面倒な関係になってしまいます。

 


社交辞令が言えない方は「協調性がない」とか「自己中」という話もありますが、よく言えば正直であり、嘘を付くことができないのです。


自分を良く見せたい、自分の考えを押し殺してまで何でも周りに合わせるってそれも協調性に含まれるのでしょうか?


そもそも協調性という言葉の意味も曖昧なのでどこまでが協調性になるのかわかりませんが、恐らくそれは含まれないと思います。


そして自己中だから言えない、周りのことを考えていない訳ではありません。


私も協調性あるか?と問われると自信ありませんし、自己中と言われればそうだと思いますが、与えられた仕事は無理ない範囲できちんと対応していますのでそれで十分と思っています。


仕事の場では社交辞令もマナーの1つと言われますが、それよりも中身・・・仕事面で信頼されるような存在になる方が良い関係を築けそうですし、お互いのために良いのでは?と私は思います。