よく可哀想という言葉は人を見下している等の理由で使わない方が良いという話を聞きます。
私の感覚では見下すまでは感じませんが、状況や場面によってはふさわしくないこともあるかも?とは思います。
しかし使う側も見下しているという意味で使っている訳ではなく、適切な表現が見つからなく、使ってしまうことはあるでしょうし、それは私にもあります。
以前いた職場で「可哀想に・・・」という言葉をよく使われていた上長がいらっしゃったのですが、特に見下しているという意味で使用しているとは感じられませんでした。
詳しい状況や場面までは知らなくても本当に素直な気持ちでそう言っているという感じでした。
その上長がお坊ちゃまという印象もあったのでなおさらそう感じたのかもしれません。
なので「可哀想=見下している」と感じてしまうのは「言葉に執着し過ぎなのだろうか?」と思うこともあります。
どんな言葉にも言える話ですが、適切な言葉が思い付かず、使っているという可能性もあるので言葉って難しいですよね・・・
言葉の解釈の仕方がそれぞれなので知らないうちに誰かを傷付けてしまったり・・・
他に悪い印象に感じてしまうのは精神世界的な目線で失礼となってしまうこともあるようです。
たとえば生まれつき足が不自由な方も可哀想と思うかもしれませんが、本人はそのような設定をして生まれて来ているので可哀想という言葉は失礼という話です。
これはそこまで理解あり、自覚されている方であれば失礼と解釈するでしょうが、そのようなことを知らない方、受け入れられない方にとっては理解できないと思います。
色々な段階の方がいらっしゃいますので相手の様子を見て使わない方が良いか?を判断しても良いのかもしれませんね。