The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

教える立場にいようと、苦手なことは苦手と言っても良い

オンラインでOA講師をしていた頃、「『難しい』とか『苦手』という言葉は言わない方が良い」と言われたことがあります。


しかし私はそんなことないのでは?と思っていました。

 


まず「難しい」ですが、やはり難しい部分は「難しい」ときちんと伝えた方が相手も安心するのでは?と私は思うからです。


私自身、何でも簡単に出来てしまう講師から教わると出来なかった際、落ち込んでしまい、「出来ない自分は馬鹿なんだ・・・」とネガティブに考えがちになるのです。


なので最初から難しいと知っていれば「すぐに出来なくても無理ない」等、ちょっと楽な気持ちになります。


そしてその難しい部分が出来るようになった時は簡単に出来た時よりも喜びが違い、自信につながりやすいです。


全員が全員、そうは思わないでしょうが、この辺は考え方の違いかもしれません。

 


そして「苦手」という言葉の方こそ、言わない方が良いと思われがちですが、やはり苦手なことは「苦手」と伝えるのはアリだと私は思います。


苦手だからこそ同じように苦手な方の気持ちは理解しやすく、よりわかりやすく教えやすい傾向にあると私自身、感じるのです。


以前、個人セッションで瞑想が苦手な旨を伝えたところ、その時のティーチャーさんも「私も一人で瞑想するのは苦手です」と仰っていたのです。


一流のクレアボヤントとして今まで多くの方に個人セッションやセミナーを提供されていたティーチャーさんだったので瞑想が苦手と知った際は信じられない気持ちもありましたが、私としては共感と心強さを感じました。


このティーチャーさんのだったら出来るかも?って・・・


その時、教えていただいた瞑想が本当にやりやすく、後にそのティーチャーさんのセミナーを受けた際も新たな瞑想やワークを色々教えていただけ、今までのセミナーの中で一番、収穫が多かったです。


もちろんそこで習った瞑想やワークの中で出来ないものもありますが、それは今の自分には必要ないからできなくても良いと思えるようになりました。


実際、すべてできなくても自分の得意なのが見つけられれば良いという話もあったのですが、そこで身に付いたワークをしているうちにハッキリそう思えるようになったのです。

 


全員が全員ではありませんが、自分の得意なことより苦手なことこそ、習得できるまで苦戦したはずなのでよりわかりやすく、相手に寄り添って教えやすいと私は思います。


教える立場にいようと苦手な分野は誰しもあると思いますが、苦手であっても教える立場にいられるということはある程度、苦手さは払拭できているはずです。


もし本当に苦手で身に付かなかったのであれば人に教えることなんて出来ない・・・言語化できませんから・・・


私は何かを学ぶ際、出来れば苦手だった経験のある方から教わりたいです。


もちろん得意な方も最初から得意だったとは限らないでしょうが、やはり苦手意識を感じなかった期間が長ければ長いほど、習得した頃の喜びを忘れてしまいがちです。


私自身、いろんな場面でそれをつくづく感じます。