The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

許せなければ許さなくて良い

精神世界では許すことが大事というような話をよく聞きますが、私は信じていません。


別に許せなければ無理に許さなくて良いと私は思うのです。


「許さないといけない」という言葉に縛られることこそ、自分が辛くなります。


そもそも許す許さないにフォーカスしている間はいつまで経っても許すことは出来ません。


許しのワークというのもありますが、そんなことしたら余計、悪化するのでは?とまで思ってしまいます。

 


確かに許せない人がいるということは「いつまで過去を引きずっているの?」、「そんなこと忘れてもっと楽しいこと考えな」等と思うでしょうが、そういう問題ではありません。


許せないのはそれだけ自分にとって辛い思いをしたからであり、その辛さは本人にしかわかりません。


特に自分を傷付けてきた相手との出来事はいつまでも残ってしまい、なかなか忘れられないものです。


それを無神経に許す方へフォーカスしてしまうことこそ、何だか違う気がするのです。

 


許せるタイミングで許せば良いとも言いますが、私のニュアンスでは「忘れる」、「許すも自然と沸き上がる」というイメージです。


前者は今が良ければそれで良しみたいなイメージでしょうか?

 

後者はその許せない出来事から何らかの学びがあり、そこに気付き、自然と許しの感情が出てくるという感じでしょうか?


いずれにせよ、自分で許そうと思えない限り、無理に許す必要はありません。


傷口に出来た瘡蓋も自分ではがすより、自然とはがれる方が治りが良いと言いますよね?


そんなイメージで無理に許す必要はない、許せない自分を責めなくて良いのです。

 

 

ちなみにあなたの許せない人も同じことが返ってきているはずです。


例えばあなたをさんざん馬鹿にしてきた人がいたとしたら将来的にその人も馬鹿にされるようなことが起きているかもしれません。


これは自分が嫌だと感じたことが同じようにブーメランとして返って来るイメージです。


あるいは相手側があなたと似たようなタイプが現れ、そこから学ぶということもあります。


例えばいじめっ子だった人が親になり、自分の子供が学校でいじめに遭っているということもあるかもしれません。


その際、相手側がどう受け取っているか?はそれぞれでしょうが、もし学びとして受け取り、謝罪の気持ちが出たら、それが伝わってあなたにも許しの感情が起きることはあるかもしれません。


ただそのようなことはそれほど多くはない・・・加害者側はあまり覚えていないとか自分のことを棚に上げてしまっていたりがほとんどなので滅多にない話でしょう。