悪いことをした際、「神様のばちが当たるよ」という話を多くの方は子供の頃からよく耳にしていたかと思います。
しかし神様は本当にそのようなことをするのでしょうか?
そもそも神様ってどんな存在?
まず神様はばちなど当てません。
神様と言えば雲の上に一人、男性が座っていてああしなさいこうしなさいと言っているイメージを感じやすいかと思いますが、そもそも神様はそのような存在ではありません。
自分自身の中にいるのです。
ただこれ、見えない存在を信じない方にとっては自分の中に落とし込むことは難しいですし、右脳がある程度機能しないと、アクセスできないようです。
なのでそこを理解されていない方は何かピンチに遭った際、「ううっ・・・神様助けて~(>_<)」なんて神頼みしても効果はないってことです。
神様がばちを当てるという言葉はその言葉が出回っているだけで実際は同じことをしたら自分に返ってきているという感覚なのかな?と感じています。
これは神様に限らず、ご先祖様を大事にしないとばちが当たるとかという話も聞きますが、そもそも「ばちを当てる」ということ自体、存在しないと私は思うのです。
宇宙は善悪の判断をしませんので同じことが返ってくるということです。
コンピューターの世界みたいに1か0しかないという感じでしょうか・・・
良い悪いの忖度なしにブーメランとして返って来るというイメージです。
たとえば誰かに親切なことをすると自分も親切にされます。
その親切な事柄というのは全く同じ事柄で返って来るとは限らず、同じ方から返って来るとも限らず、すぐ返って来るとも限りません。
近所の方を手伝ったとしたらその方からお礼に何かいただいたり、別の機会に何かを手伝ってくれるということもあるでしょうが、その方からは何もなく、家族が家事を手伝ってくれたということもあるかもしれません。
しかし「親切にすれば何らかのお礼や親切な対応をしてくれる。だから親切にする」というような考えで親切にするとお礼されることが目的というエゴが強調され、何か親切なことをしてもお礼の言葉すらなかった等の現実が起こるかもしれません。
これこそばちと思いがちですが、実際はエゴの部分が返って来てしまっているイメージと私は思います。
そもそも皆が皆、親切にされたらお礼を返すとは限りません。
お礼をする余裕がなかったり、そのようなことに無頓着な方もいらっしゃいます。
あるいは関わりたくないから何もしないとか相手にとっては親切ではなく迷惑な行為だったかもしれません。
相手の対応にすっごく寂しさを感じると思いますが、その部分を理解する学びのためにそのような結果になってしまうこともあります。
ここまで自分の中に落とし込むことはなかなか難しいですが、結果は求めず、本当に純粋な心で親切な対応をしていればいつか自分に良い形で返って来ます。