The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

何かを学ぶ理由がなくてもマイナス的な理由であっても良い

何かを学ぶ際、理由を聞かれることもあるかと思うのですが、ただなんとなくという思いで学ぶ方もいらっしゃると思います。


理由がないのに受講するなんて「何のために?」って思いそうですが、別に深い理由はなくても良いのでは?と私は思うのです。


ただ言葉にビビっと来たとか、なんとなく楽しそうだから・・・

 


明確な理由はないんだけど何か言葉にビビっと来たのもあなたのハイヤーセルフからのサインで何か理由があるのかもしれません。


本当の理由は学んでいるうちに見つかるかも知れません。


もしかしたらそれが将来的に必要になるかもしれません。

 


また、「誰かを見返してやりたい」というような一見、否定的な理由もアリだと思います。


私はレイキを学ぶ際、「今まで出会ってきた嫌な人を見返してやりたい」という気持ちがありました。


だからと言ってレイキを悪用するつもりは全くありませんでしたが、それだけ嫌で悔しい思いをたくさんしてきたからこその思いだったのです。


すると伝授後のヒーリングセッションで浄化作用だったのかそのような感情が一気に吹き出てしまったことがありました。


これを聞いたティーチャーの方には一瞬、嫌な顔をされましたが、その時は既にそういう気持ちも薄くなっていたのでその旨を伝えたら安心されていました。

 


しかし私は嫌な顔をされたということに非常に不快を感じたのです。


誰かを見返してやりたいがそんなにいけないことなのか?と・・・


中にはそういう気持ちをなくしたいためにヒーリングを学びたいという方だっていらっしゃるのにそれを良く思わないなんておかしな話ではないか?と思ったのです。


この辺は考え方の違いだと思いますが、最初から完璧な心を持った方はいません。


だからこそヒーリング等が必要なのではないでしょうか?

 


ただ、いかなる理由であっても学んだヒーリングを悪用するとブーメランとなって自分に返って来ます。


宇宙はデジタルなのでどんな理由があろうと判断しません。


このような話はヒーリングを学ぶ際、教わるはずです。