私は物心ついた頃から苦手なことやモノ、できないことが人一倍多いです。
特に表現力を要することや手先を要すること、そして運動神経もゼロだったのでこれらを強制的に学ぶ環境だった学校は牢獄のようなものでした。
他にもマルチタスク(話を聞きながらメモを取る等)ができなかったり、頭ではわかってても言葉のあやが人一倍多かったり・・・これでもかっ!ってほどあります(;^_^A
だから生きづらかったというのは言うまでもありません。
しかしその反面、同じことが苦手だったり、できなかったりする時の悔しさやら悲しさやら・・・そういう気持ちを理解できる幅が人一倍広いということが私の長所かもしれません。
特にみんながスムーズにできるのに自分一人だけできないという悔しさや悲しさは本当に共感できます。
例えば話すことが苦手であれば話すことが得意な方からしてみれば・・・
何故苦手なのか?
これが自分にとっての自然だから得意とか苦手とか考えたことがない
考えすぎ
昔苦手だったけど、克服してしまったのでその時どういう気持ちだったか忘れてしまった
等、なかなか理解しづらい点があると思います。
もちろんその人本人ではないので理解できないのは仕方のない話かもしれません。
確かに私も自分が得意なことに関しては「何故苦手なのか?」は理解に苦しむところがあったりします。
また、過去に同じような悩みがあったとしても全く同じという訳ではないのでどう思うかもそれぞれだと思います。
しかし苦手な方にしてみればどうしても気になってしまうんですよね・・・
何故気になってしまうかって?
それは「苦手なことは克服するべき」等と教育されているからです。
だからこそ無意識にそれが頭の中にあり、苦手なことがある自分はダメな人間等とセルフイメージが下がってしまうのです。
苦手なことがあることはそんなにいけないことでしょうか?
中には病気や障害が関係してできないという方だっていらっしゃいます。
しかし病気や障害だからという目線で見てしまうことこそ、差別になってしまうのでは?と私は思います。
実は病気や障害を持っている方は病人とか障碍者と思われることが一番嫌がることだったりします。
年配の方に席を譲る際、「年寄り扱いするな!」と不快に思う方がいらっしゃるのと同じようなことです。
誰だって苦手なことや嫌いなことはあるはずです。
病気とか障害関係なしに苦手なことは得意な方に任せ、得意なことは苦手な方に提供するという世の中こそ、誰もが生きやすい世の中になっていくのではないかと私は思います。
もちろん苦手なことを克服するという考えもアリです。
自分の苦手なモノの中のある一つのことが今世の使命と直結しているという場合もあると思います。
ただ全員が全員その特定のことができるようになる必要はないので「将来役立つから」とか「苦手でも克服しなさい」とむやみに他人に押し付ける必要はないのです。
何故なら苦手なことは本人にとって興味がない、必要ないという場合がほとんどだからです。
私もこのことを知り、大分気持ちが楽になりました。
例えばExcelが苦手だとします。
Excelは便利なので使えた方が良いに越したことはありませんが、Excelを使用しないと困るようなことがない限り、使えなくても生活に支障は出ませんよね?
Excelでなくたって他に代用できるような手段があればその方法で作業すれば良いのですから・・・
ちなみに事務系の仕事だとExcelは必須スキルと思われがちですが、そんなことはありません。
専用端末への入力やPCを使わない事務だってありますし、Wordオペレーターという仕事だってあります。
Excelが出来ないから事務職にありつけないなんてことはないんです。
もう一つ例えると役員等のリーダー的な仕事が苦手だとします。
一度はリーダー的な仕事も経験しておいた方が良いという話も聞いたことありますが、皆が皆、リーダー的な仕事に就くとは限りません。
確かにリーダー的な仕事は人をまとめる大変さとか色々ありますが、やりがいを感じたりお給料も上がったりとメリットはあります。
しかし自分はどちらかというと誰かのサポートをする方が得意という方、普段の仕事でも十分に楽しいという方だっていらっしゃいます。
であればやりたくない方に無理にやらせる必要はないのです。
例えば学校の班長やPTAの役員も「やらない人はずるい」等あるそうですが、無理にやらせてもお互いに不満が募るだけです。
であればリーダー的な仕事は得意な方、やりたい方にお願いした方がより良い方法や斬新なアイデアが思いつきやすいです。
本当に必要ないとかの判断は実際にやってみて「心地良くなるか?」、「もしかするとできそうだからやってみようか?」、「何かわからないけどちょっとやってみたい」等、「何かプラスな感情を感じるか?」なのかな?と思います。
タイミングもありますので今は「もう2度とやりたくない!」と思うようなことでもある程度月日が経てば「やってみようかな?」と再び思い、いつの間にかできるようになったということもあります。