The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

自分を変えるというより、本来の自分に戻るのです

よく「自分を変えたい」、「もっと変わりたい」というような言葉を見かけますが、どうもこの言葉に違和感があります。


何だか「今の自分ではいけないのでは?」と否定的に感じてしまうのです。


そもそも人間はそんな簡単に変わりませんし、変えようと思って変えられるものではありません。


変えようと思って努力しても違和感を感じたり、なんか違うと感じることも出て来ます。


もっと言ってしまえば変えようと努力してしまったら本来持っている長所を失う可能性もあります。

 


明るい方、物静かな方、話好きな方、一人でいることが好きな方・・・色々な性格の方がいらっしゃいます。


人それぞれ好みはあるでしょうが、良いとか悪いとかという話ではありません。


「明るい性格の方が色々な面で得をする」とかあるかもしれませんが、それは一般的なモデルケースであり、すべての方がそのような方を求めているわけではありません。


無口でも仕事ができる方が良いという方もいらっしゃいますし、普段は物静かでも知識が豊富な方や同じ趣味の方と一緒にいる方が楽しいという方もいらっしゃいます。

 


また、「変わりたい」という感情は今の自分に満足していなかったり、他人と比較したりして出てくるのでしょうが、そこが気になるということは本来、あなたにもその性格が入っているのでは?となんとなく感じていました。


それが何らかのきっかけにより出せなくなったのです。


そのきっかけというのが環境だったり、人間関係だったり様々です。


なので「変わるのではなく本来の自分に戻るのでは?」と私は思うのです。

 


例えば身の回りに「最近は人が変わったように明るくなった」と思う方がいらっしゃるとします。


これは私自身も言われたことがありますし、そう言われていた方も何人か見かけたことがあります。


しかし私は自分を変えようと努力したわけではありません。


単に何らかのきっかけで本来の自分が出せるようになっただけと思っていました。


私は自分から話しかけるような性格ではないので打ち解けられないとほとんど話せませんが、打ち解けてしまうとフレンドリーな本来の性格が出て来ます。


それは私だけに限らず何らかのきっかけで本来の自分が出せたのです。


もしくは相手の見えなかった部分が見えたのかもしれません。


中には努力して自分を変えようと頑張った方もいらっしゃると思いますが、ほとんどの方は何もしていないと思います。

 


今まで本来の自分が出せなかった理由はそれぞれなので一人一人違うでしょうが、例えば環境が変わったばかりであれば馴染むのに時間がかかったのかもしれません。


誰かに声を掛けられ、話せるようになったのかもしれません。


日常的な出来事の中で刺激を感じるようなことがあったのかもしれません。


逆にあなた側でその方に対し、見方が変わったということもあるかもしれません。

 

健康体になりたく、健康に気を遣う方が不健康?

健康体になる為に例えばこのようなことをよく聞きます。
〇〇が体に良いから〇〇を毎日摂取する
スナック菓子や甘いものを控える
ジャンクフード、インスタント食品を控える
白米ではなく玄米や雑穀米を食べる
1日の食事では栄養素が足りないからサプリメントも摂取する
人間ドックやがん検診を定期的に受ける

 


以前ネットで食事に気を遣っている方よりも気を遣っていない方が健康診断の数値が良いという話を見かけました。


パーキンソン病である父もお菓子をあればあるだけ食べていたのですが、血液検査で引っかかったことがない・・・むしろ頭以外は健康体とよく言われます。


ちなみに歯もほとんどありませんが、歯医者さんからは「歯茎が綺麗(健康な歯茎)」と言われたそうです。

※ハッピーマウスでは歯茎が綺麗ということは決断力があるということです


何故、気を遣わない方が健康なのか?はすぐにわかりました。
それはストレスです!


パーキンソン病は冬でも大汗を掻くぐらいに震えることがあり、その影響で太らないという話も聞いたのですが、父の場合、何も気にせず好きなことをしているのでその点もかなり大きいと思っています。

 


健康のためといいますが、食事制限しながら食べるの、楽しいでしょうか?
罪悪感感じずに我慢せず食べたいモノ食べたほうがおいしく食べられませんか?


もちろん食事に気を遣うことが楽しいのであればそれはそれで問題ありませんが、たいして興味ないのであればそこまで気を遣う必要なんてないんです。


無理して健康に気を遣ったってストレスになるだけで、ストレスこそが病気の原因ではないでしょうか?


ダイエットも「食べることの罪悪感」、「我慢」をするからこそストレスがたまり、その負のエネルギーから体重が減らないということはあるようです。

 

 

以前、職場で「健康のために玄米食べていたけど、それをやめたら楽になった」という話を聞いたことがあります。


そう。健康に良いからと言って無理して美味しくないと思うものを食べる必要なんてないんです。


私もにおいや食感が受け付けないので健康飯全般は一切食べません。


もちろん美味しいと思えば続けて良いんです。


しかし美味しくないと感じるのであればたとえ健康に良い食べ物であろうと栄養になりません。


もっと言ってしまえば美味しくない食べ物はなかなか食べ続けられないと思うのでその点でも効果は薄いのかな?と思います。


どんな食べ物でも「健康」を目的に食べ続けるよりも自分でおいしいと感じたものを食べたほうが心身ともに健康でいられるということです。

 

 

それにいくら健康に良いと言われている食べ物でも取り過ぎは良くないですし、体質的に合わないということもあります。


例えば大豆は身体に良いと言われていますが、これも取り過ぎると女性ホルモンが増え、婦人系の病気にかかることがあるそうです。


玄米も身体に良いと言われていても体質的に合わない方はお腹を壊すこともあります。

 

逆に一見、身体に良くないと言われている食べ物でも食べたければ食べて良いんです。


私も一時期、小麦粉は良くないから食べない方が良いと言われたことがあったのですが、どうしても我慢できず菓子パンとかインスタントラーメン食べていたんです。


するとその罪悪感からかこれらを食べた後、咳が出てしまうことが続いた時期がありました。


確かに私は小麦粉のアレルギー値が微量にあるのですが、米、乳、卵も同じぐらいの値はあったのでアレルギーはそれほど意識していませんでした。


米や小麦粉は毎日摂取していてもほぼ0に近く、かなり微量だったからこそなおさら意識していなかったのです。


しかしその罪悪感を感じなくなった途端、咳が出なくなったのでやっぱ我慢しないで食べたいと思ったら食べたほうが良いんだって思いました。


よくグルテンフリーにしたら体調がよくなったという話も聞きますが、そのような方はおそらく微量に小麦のアレルギーがあるのかもしれません。


ちなみに小麦粉は良くないと言ってむやみに米粉を取るようにするのも危険です。


米アレルギーも存在しますので普段ご飯を食べている分には何とも感じなくても米粉を取るようになってから何らかのアレルギー反応が出るようになったということもあり得ます。


とはいえ、アレルギー値があってもアレルギー反応として出ないこともあるので今現状、食べてみて影響がないのであればそれほど意識する必要はなく、過剰に摂取しなければ良いのです。

 


人間ドックやがん検診も結果を気にすることにより、かえって不健康になってしまうということもあります。


最近では血圧の正常値も昔と比べて大分下がっており、病人を増やしているという話も目にしました。


がん検診も早期発見により生存率が高まるのでなるべく受けた方が良いという話をよく耳にしますが、実際はこのような話も出ています。

早期発見されるガンの多くは過剰診断で、治療不要

 

ちなみに歯茎も3mm以下が正常(健康な歯茎)と言われていますが、これもあまり心配し過ぎる必要はないのかもしれません。

 


「検査してもらった方が安心する」という方はプラセボ効果にもなるので良いでしょうが、診断結果にビクビクしてしまう方はノボセ効果になり、恐れていたことが現実化してしまうということもあります。


これも物心ついたころからなんとなく感じていましたが、やはりそうだったということが確信できました。


まさに「病は気から」という言葉そのもので、健康に関する番組もあまり見ない方が良いです。

 


ちなみに私の場合、がん検診には行ったことありませんが、歯医者さんには定期的に行っています。


いずれ行かなくても済むようにはなりたいですが、歯医者さんは歯のお掃除(歯石取り)をしていただけるのでその点で行っているという感じです。

 


もし健康に気を遣いたい、そうは言ってもどうしても健康のことが気になってしまうのであればまずは口の中を清潔にすることをおススメします。


口は呼吸、飲食、話す等、様々な役割があり、細菌も入りやすい経路です。


口の中にある細菌から歯周病になり、さらには心筋梗塞やがん、認知症等の病気になることもあるようです。


口の中を清潔にすることにより、虫歯や歯周病の予防だけでなく、全身の病気の予防にもなるということを考えれば食生活や検診よりも大事だと思います。


ちなみに朝起きた後が一番細菌が多いので口をゆすいだり歯磨きもせずに食事を取ることは大量の細菌を一緒に飲み込んでいるようなことだそうです。
歯を磨くベストタイミングはいつ?

 

外出先から帰ってきた際もうがいをした方が良いという話を誰しも一度は聞いたことがあると思いますが、いきなりうがいをしてしまうと喉に細菌が入ってしまいますので最初に口をゆすいでからうがいをした方が良いです。

 

「どうすれば○○になれますか?」と聞かれてもすんなりと納得のいく答えは得られない

昔、職場で「どうすればそんなにミスしないで仕事が出来るんですか~?」と聞かれたことがあったのですが、どう答えて良いのかわかりませんでした。


当時は後で「経験(慣れ)」ということが思い付きましたが、どんなことでも向き不向き、得意苦手があるので全員が全員に当てはまることではないんですよね・・・


その業務が苦手だったり、嫌いとなると慣れるのにも時間かかりますし、ミスも多くなりますし・・・

 


これ、どんなことにも言えることですが、「どうすれば〇〇になれますか?」と聞かれてもその方にとって納得のいく答えって得られないのかな?と思います。


そういえば20代前半の頃、どんな方とも上手くコミュニケーションが取れる(俗にいうヒューマンスキルの高い方という感じでしょうか?)先輩派遣さんに出会い、「私もああいう風になれたら人間関係で苦労しないんだろうな」とよく思ったことがあります。


その先輩がよく私に言っていたことが「indigohealerさんは自信を持てば大丈夫」と・・・


これは何年も理解できませんでした。
そもそも自信ってどう持てばいいの???


当時の私は今以上に恐怖心が強かった(ほぼ対人恐怖症に近い感じだったかもしれません)ので理解できないのも無理ありません。


逆に「どうすればいいですか?」なんて聞いても自分が納得できるような言葉は返ってこないのでは?としか思えませんでした。


何故なら私と先輩では性格だって違うし、同じような悩みを持った経験だって明らかになさそうだから言葉が返ってきても響かないだろうと・・・


いくらアドバイスを聞いてもすんなり受け入れられるとは限らなかったりします。


もっと言ってしまえば「こういうのって言葉で理解するようなことではないのかも?」となんとなく思っていました。


結果的にそのなんとなくは当たっており、このようなことは自分で調べたり体験することにより少しずつ納得できるようになるのかな?と思えるようになりました。

精神世界の仕事をしていても多かれ少なかれ誰しも受け入れられない種は持っている

数年前に行ったヒーリングサロンでそのヒーラーさんのその日のブログにいかにも私のことではないか?と思うようなことが書かれていたことがありました。


それが「ご自分をダメ出しされていたので・・・を思い出すようにさせた」(詳細忘れましたが・・・)というような内容でした。


当時、私は自分をダメ出ししてしまう癖はありましたが、わざわざそれをブログに書かなくても・・・と思いました。

 


そんなに自分をダメ出しすることっていけないことだろうか???
「思い出すようにさせた」だなんてまるで「私が変えてやる」オーラがする文章だ・・・
変えさせてやろうという思考で相手を変える事なんて出来ないはずでは?
私に限らずセルフイメージが低い等、その人本人なりの悩みがあるからこそ、セッションを受けるのでは?
そもそもクライアントのことをブログに書く(過去話ならともかく、セッションを受けた当日に)って何か嫌だ・・・
ブログで何を書くかは個人の自由かもしれないけど、仮に私のことでないとしてもクライアントの個人情報を漏らしているのでは?

 


しかしそのようなことをすぐに書いてしまうということはそのヒーラーさん自身が私のダメ出し部分のところで何か引っかかること(その事が許せない等)があったんだろうなと思えるようになりました。


いくらそのようなお仕事をされていてもやはり完璧に癒やされている方などいないので多かれ少なかれ誰しも地雷・・・怒りの種や許せない種等は持っているということも今では少しずつ理解できるようになりました。

 


合わないと感じたらその方からのセッションを受けなければ良い
ブログだって読まなければ良い


これらの言葉も誰かに言われてもなかなか行動に移せませんでしたが、今では出来るようになりました(*^_^*)


とはいえ私自身、クライアントの許可なく当日話したことや感じたことをいかにも本人とわかるように書かれることについては「そういうつもりで言ったんじゃない」とトラブルになることがありますし、個人情報を漏らしている感じがするので好ましく思っていません。

 

ジプシーになっても何らかのことは学んでいるはずです!

「色々学んだけどうまくいかない」、「色々セッションを受けてみたけど効果を感じない」等でジプシーになってしまうという話をよく目にします。


そこで「ジプシーにならないように・・・」とか「そろそろジプシー止めませんか?」的な言葉を見かけますが、好きでジプシーをやっているわけではありません。


もっと言ってしまえばそういうセラピストさんは相当、自分のセッションに自信があるのかな?とも思ってしまいます。

 


それを選んだということはその時の自分にとって必要と思ったからこそ、選んだのではないでしょうか?


その結果、良かったと思うことばかりとは限らなかったりします。


「思っていたのと違う」とか「不快な思いをした」ということもあります。


自分にとって悪いことでも必要な経験だったのかもしれません。


だからと言って「それも必要な経験」とか「すべてを受け止めて」等と一方的にクライアント本人を目の前にして言うのはあまりに思いやりがないような気もしますが・・・

 


私はジプシーであろうと一つ一つの経験の積み重ねで自分が求めているモノにたどり着けるのではないのでは?と思っています。


中にはすぐに自分に合うモノに出会えるという方もいらっしゃるかもしれませんが、なかなか出会えない方もいらっしゃいます。


自分にしっくりくるモノに出会えるまでにたくさんの過程を経てから出会えるということだってあるはずです。


それは受け入れられる準備がどれぐらいあるかにもよります。


すぐにしっくりくるモノに出会える方はある程度、心に余裕があったり、受け入れられる準備が出来ている方だと思います。

 


また、「セッションを受けてもアウトプットできない方は何を受けても効果はない」という話を目にしますが、アウトプットするにも個人差がありますし、アウトプットが苦手な方もいらっしゃいます。


私もアウトプットすることは苦手です。


もちろん手法や相性の合う合わないもあります。


このようなことは何かの勉強にも言えることです。


勉強も早く理解できる方もいらっしゃれば時間がかかる方もいらっしゃいます。


得意なことであれば理解は早いですが、苦手なことであると理解に時間が掛かります。


他にも勉強方法や教える側との相性も関係してきます。


それと同じようなことで変な話、アウトプットできない方を批判するような言葉は勉強ができない方を否定しているのと同じようなことです。


セッションの合う合わないや相性はありますが、セッションを受ける価値のない方はいません。

 


たとえ一つのセッションで効果が薄かったり、何も感じなくても一歩前進しています。
もっと言ってしまえばセッションを申し込んだ時点で一歩前進しています。


たとえ畳一目の変化であったとしても継続していけば必ず変化は出ます。


これは私が身を持って感じたことなので断言できます!


また、色々なセッションを経験された方は自分が経験したセッションを情報として発信することにより、これから受けようと思っている方にとっての情報源になります。

 


ですからたとえ周りに何を言われようと興味を持ったら積極的に受けた方が良いです。


もちろん一人のヒーラーさんや一つのセッションにこだわらず、色々な方から受けたり、他のセッションを試し続けるのだって全然アリです!


私自身、一つに固執するより、気になったセッションを色々受けてみたいと思っています。


また、セッションも非常に強力なヒーリングができる有名な方から受けたいと思っても有名な方は限られた枠しかなく、なかなか予約が取りづらいということが多いですよね?


受けたいと思ってもなかなか受けられないには理由があります。


その主な理由が「まだタイミングではない」ということです。


そのセッションで的を得ていることを言われたとしても受け入れる準備ができていないのかもしれません。


そのセッションを受けることにより相当な試練(変化)を要する可能性もあり、それを受け入れられる準備ができていないのかもしれません。


本人がとても受け入れられないようなことは試練として出てこないようになっています。


もっと言ってしまえばあまりにかけ離れていたりするとそのような情報には辿り着きません。


興味のないことは調べもしませんし、やみくもに探してもなかなか出て来ません。

 


逆に予約が取れたのであればその後の変化の受け入れ準備ができたということです。


もちろんそれでもしっくりこないということもあるでしょうが、それも「自分には合わない」、「もう少し自分に合うセッションがある」ということを知るためのセッションだったのかもしれません。


合わないのは相性の問題かもしれませんし、手法の問題かもしれません。

 


何事も実際に経験してみないとわかりません。


色々経験することにより、自分に合うモノがわかったり、その本質(真実)がわかってきます。


私は真実を知りたいという趣味から興味を感じたことは実際に体験しないと気が済まないのでたとえ自分に合わなくても「受けたことにより、真実を知ることができた」と思っています。


また、時代が変わるにつれ、どんどん便利なモノが開発されていくように、より効果的なモノ、より便利なモノを探し続けることは決して悪いことではないと私は思います。