The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

人間誰しも何かしらのことに依存している

前回は自立について書きましたが、今回は依存について書こうと思います。


「依存してはいけない」という言葉を自立とセットでよく聞きますが、そんなにいけないことなのでしょうか?


「頼る」と「依存」の違いかもしれませんが、どちらも意味は変わらないような気がします。


であればそれほど区別して使うような言葉ではないのでは?と思います。

 


依存は良くないと言っても極端な話、人間誰しも何らかのことに依存しています。


調べ物するときだって本やネットに依存しますよね?


特にスマホなんかは持っていないと生きていけないという方は多いのではないでしょうか?


サラリーマンだって会社に依存していますよね?


フリーランスや起業して会社に頼らない方が優秀でサラリーマンがダメってことはありませんよね?


調味料だって多くの方がスーパーで買っている・・・要はスーパーに依存していますよね?

 


ここで対立しても「屁理屈言うな!」って突っ込まれそうですが、程度の問題ではないでしょうか?


さすがに昼夜構わず、食事もせずにずっと部屋にこもってゲームしていたり、自分の身体を顧みず、アルコールを飲み続けていたりというのは別問題ですが、あれもこれも依存は良くないと解釈してしまうといざというときに何も頼れなくなってしまいます。

 


ちなみに先月、トイレットペーパーが買えないという嘘の情報が流れ、どこに行っても品薄になっていたということがありましたが、必要以上に買いだめしてしまうのは「頼るという行為ができないというところから来ている」というような話を目にし、確かにそうだなと思いました。


本当にトイレットペーパーがなくなってしまったら近所や職場等で持っている方から貰うという手がありますが、「自分で何とかしないといけない」という刷り込みから必要以上に買いだめしてしまうということもあるようです。

 


「自立できている方は依存先をたくさん持っている」と見たことがあるのですが、確かにそうだと思います。


特定の方に頼ってしまうからこそ、依存が悪いとかどうとかってなってしまうのかもしれません。


しかし頼られる本人が迷惑していないのであれば特定の方に頼るのもアリだと私は思います。


寧ろ自分の得意とすることに関して頼られるのであればそれはそれで嬉しいことではないでしょうか?


ただ毎度必ず望み通りのことをしていただけるかどうか?等の期待はしない方が良いですが・・・


人間生きている以上、誰かに頼ることになる場面に出くわすのは当然ですので都度、然るべきところに頼れるようになることは必要だと私は思います。

 


そもそも誰かに頼ることにより人間関係、物事、お金等に循環していくのではないでしょうか?


自分の得意なことを苦手な誰かに提供することで生計を立てている方もたくさんいらっしゃいます。


代行サービスなんかもまさにその例だと思います。


もちろん自分でできる範囲と感じることや、「何でも自分でやりたい」という方であれば頼る必要はありませんが、余裕のない時やどうにもならないときもありますのでそういう時は頼って良いんです。


もっと言ってしまえば特に仕事の場合は頼らないことにより他の方に負担をかけてしまうこともあります。

 


また、依存先は分散させた方がいざというときにも対応しやすいのかな?とここ数年でつくづく感じるようになりました。


仕事で例えてみると会社勤めだけでなく、副業で他の仕事をする複業というスタイルにすることにより、何らかの理由で会社勤めができなくなってももう一つの仕事である副業で仕事をするという方法があります。


副業も1つだけでなく、自分の出来ることであればいくつかあっても良いのでは?と私は思います。

 


とはいえ、自立とか依存を考えるよりもまずは恐怖心や過去のトラウマ等、不要なモノを減らす方が先決です。


精神世界でこのような言葉をよく聞くから依存しないようにする、自立しようと頑張ってしまう行為こそが何だか違うような気がするのです。


過剰な自立は過剰な依存を生んでしまう原因になりますのでかえって危険です。


自立の解釈もそれぞれなようなのでむやみに鵜呑みにするのは要注意です。

自立の本来の意味って?

よく精神世界では「自立すべき」というような言葉を目にしますが、自立の本来の意味って何でしょう?


親元から離れ、一人暮らしすること?
一人で行動できる?
人に頼らず自分で考えて行動すること?

 


色々調べても言っていることが皆、違ったりするので私なりに「自立」という言葉の意味を考えてみました。


まず「親元から離れ、一人暮らしすること」ですが、これは自立というより独立という言葉の方がしっくりくると思います。
実家暮らしを恥じる必要はない

 


一人暮らししていても食事の管理が上手くいかず、病気になってしまったり、経済的に余裕がなくなってしまったりで実家に戻ってしまうという話をよく聞きます。


自立を目的に一人暮らしされる方が良くいらっしゃいますが、自己管理ができず、毎度のように親に頼っているとなると自立も何もないような気がします。


独立して仕事をするよりも会社勤めの方が向いているという方がいらっしゃるように一人暮らしに向いていない方だっていらっしゃいます。


中には親との仲が険悪で一人暮らしされている方もいらっしゃいますが、どんな理由であろうと一人暮らしは自立していると一括りに解釈してしまうのはなんか違う気がするのです。

 


続いては「一人で行動できる」ですが、これは「周りに影響されず、自分の意志で行動できる」ということではないかと思います。


なので一人では行動しづらいけど誰かとなら行動したいというのは一概に自立していないとは判断できません。


例えば旅行なんかは一人では抵抗あるけど誰かとなら一緒に行きたいという方もいらっしゃいます。


私は以前、「一人で旅行に行けないのは元から旅行に興味がないからなのでは?」という考えでしたが、この辺は「一人で楽しみたいか?」、「誰かと楽しみたいか?」の違いなのでは?と思うようになりました。


一人での旅行の楽しみ方と二人以上の旅行の楽しみ方では全然違うはずですし、そもそも本当に旅行に興味なければ行きたいなんて思わないんですよね・・・


一人で旅行するよりも誰かと一緒に旅行した方が楽しいのであれば家族や気の合う友達と一緒に楽しめば良い訳であって、それで自立していないとは思えません。

 


また、職場でのランチタイムも一人で食べるより、誰かとおしゃべりしながら楽しんで食べたいという方もいらっしゃいます。


もちろん相手の都合もあるので無理に誘うということはNGですが、単に一人よりも誰かと食事する方が好きであれば自立がどうとかは関係ありません。

 


しかし周りに影響されず、自分の意志で行動できるようになるということは大事だと思います。


自分の意志さえしっかり持っていればいくら納得できないようなことを言われてもぶれずに行動出来るようになります。


そのためには何が真実かを知るということも必要だと思います。

 


そして「人に頼らず自分で考えて行動すること」ですが、おそらくこれが本来の自立という言葉の意味で一番迷うことであり、一番難しいのかなと思います。


寧ろこの部分を間違えてしまうと「自立」ではなく「孤独」になってしまうので難しいです。


もし本当に誰にも何も頼ってはいけないとなると無人島でも一人で生活できそうですね。


それはそれですごいですが、少なくとも私には無理ですし、そうなりたいとも思いません。

 


考えた結果、「頼る」が必要な場合もあるということを考えたらやはり必要に応じて「頼る」ということができることこそ、自立なのではないかと思うのです。


特に身体が不自由な方等は頼らざるを得ない場面は多いはずです。


身体が不自由な方等には当てはまらないという声が聞こえて来そうですが、そうではなく、「頼る」ということも自立のうちに含まれるのではないかと私は思います。

 


自立も色々な解釈があるようで、必要以上に厳しく解釈してしまうと「頼る」という行為すらできなくなります。


過剰な自立は過剰な依存を生んでしまい、本当に危険だと思います。


私自身、厳しい解釈に振り回され、元から苦手だった「頼る」という行為がさらに苦手になったりしました。


正直、今でも頼ることに迷いが生じることもあります。

 


よく他人に自立を促す方は本当の自立の意味を分かっていなかったり、「頼る」という行為ができない方が多いような気がします。


どんな情報にも言えることですが、あまりに厳しい情報と感じたときは一旦立ち止まって「本当にそうなのか?」を疑ってみた方が良いかもしれません。


特に厳しい情報こそ本物ととらえがちですが、必ずしもそうとは限りませんのでむやみに鵜呑みにしない方が良いです。


これは受け取る側にも言えることで、私もよくやってしまいがちなのですが、必要以上の厳しい解釈は要注意です。


人間、生きる上で必要以上な深刻さやストイックさまでは求めていないような気がするのです。


これは独立にも当てはまると思いますが、本来の意味での自立とは「自分の人生を自由に生きるため(楽しむため)に必要なこと」なのかもしれません。


であれば「自立しないといけない」という感じに必要に迫られてするようなことではないのでは?と私は思います。

 

チェーン店やファーストフード店は外食?

昔いた職場で「旦那に外食に誘われたら〇〇の牛丼屋(チェーン店)だった。外食って言ったら普段あまり行かないような・・・」というような話を聞いたことがありました。


この話を聞いてどっちの考えも納得できたので「外食の定義ってそれぞれだな~」って思いました。


皆さんは外食って言ったらどういうところを思いつきますか?

 

 

普段、あまり行かないような料理店
オシャレな洋食店
有名な料理店
回転寿司以外のお寿司屋
ファミレス
高級店
焼肉店
牛丼やカレー等のチェーン店
ファーストフード店
味にこだわりのあるラーメン店
心地良いと思えるお気に入りのカフェ

 

等・・・思いつく限り色々ありますよね・・・

 


外食って言ったら普段あまり行かないようなお店をイメージする方も多いと思いますが、「外に出て食べる」ということを考えればチェーン店やファーストフード店も十分外食なんですよね・・・


私もそうですが、普段、あまり外食されない方にとっては「外で食べる」ということ自体が新鮮に思えるような気がします。


特にお子さんなんかはファミレスとかファーストフード店でも嬉しかったりするものです。

 

 

とはいえ、外食の解釈は人それぞれのようなので何かリクエストがあれば具体的に伝えた方が良いということですね。

好みはそれぞれなので好き嫌いがあっても良い

よく精神系のセッションやセミナー等で「嫌いなモノや苦手なモノに関し、嫌いなのは何かのトラウマが隠されている」と解釈し、変えさせようという言動を取る方を見掛けるのですが、そのたびに「好き嫌いもダメなの?」と思ってしまいます。


確かに何事も好き嫌いが少ない方が楽しめる幅が広がりますし、周りにも合わせやすい等、色々な面で楽だと思います。

 

 

例えば私は物心ついた頃からパンツスタイル(長ズボン)が嫌いで寝るとき以外に私服で履くことはほとんどなかったのですが、ここ数年、履くようになり、服装の幅が広がったのでそれはつくづく感じます。


ただパンツの中でも好き嫌いがあるのでどんな種類でも履けるようになったという訳ではありませんが・・・


以前にも母からパンツを勧められて履いていたことが何度かあったのですが、足が落ち着かないとかやっぱ似合わない等ですぐにスカートに履き替えていたぐらいで長続きすることはありませんでした。


でも気付いたらパンツへの抵抗がなくなって4年ほど経ちました。


ここまで続いたことなんて初めてです。


今となっては足は冷えないし、気に入ったコーデもあるので今後も履き続けたいと思っています。

 

 

で、何故パンツも履くようになったかはセルフヒーリングしていたらいつの間にかパンツに対する苦手さがなくなり、自然と履けるようになったんです。


スカートコーデの幅に限界を感じるようになったのとストッキングは極力履きたくないって思いがずっとあったのでそれがパンツを履くという選択肢が自然とできるようになったという感じです。


他に嫌いだった理由は足元がなんか落ち着かない(でもタイツやレギンスはOK)からだったのですが、それも気にならなくなりました。


そして極めつけはパンツはスタイルがくっきり見えちゃうからスタイルの悪い私が履いたって田舎のイモ姉ちゃんにしか見えないのでは?とも思っていました。


けど、「履いてみよっか?」と思えるようになったら「意外とおかしくないかも?」と思えたんです。

 


まあパンツを履こうと思っても最初は突然のパンツ姿に周りはどう思うか?とかめっちゃ気になりましたよ・・・


「パンツなんて珍しい」なんて言われるの、怖かったんですが、誰も何も言いませんでした。

 

 

しかし嫌いなら嫌いでそれで良いのでは?と思います。


たとえそれがトラウマから来ていたとしても本人が困っていなければそれで良いんじゃないかな?って思います。


スカートしか履かないのも全然アリです。


ついでいうとスカートの方がトイレ楽じゃないですか?

ヾ(=д= ;)ォィォィなんて発言するんだよ・・・

 


逆にパンツしか履かないのだって全然アリです。


パンツの方が足は冷えませんし、楽だからとか動きやすいから等、機能性を重視して選ぶのも全然アリだと思うんです。


ついでいうと足の処理しなくて済みますし・・・

ヾ(=д= ;)ォィォィほんっとに女っ気ゼロな発言だな!!!


ちなみに私はスカートとパンツは半々ぐらいですが、季節の変わり目であるこの時期は朝晩冷えるのでパンツの方が多くなります。

 

 

よく「スカートしか履かない方はオシャレとか女性らしい」とか「自分は地味でオシャレするの苦手だからスカートが似合わない」って意見ありますが全くそんなことありませんよ・・・


パンツだってオシャレなのたくさんありますし、むしろパンツの方が履きこなすの難しいですよ・・・

 


特に細身のパンツはスタイルがくっきり見えちゃいますので自分の体形に合うパンツを探すのは難しいです。


私の場合、細身のパンツの時はなるべくお尻が隠れるようなチュニックやカーディガンと合わせ、かかとの高い靴を履くようにしています。

 

 

もちろん好みは変わるので私のように自然と「パンツ履いてみよっか~?」等となることもあるので好き嫌いのある自分はダメとかと思う必要は全くないのです。


良いんですよ・・・トラウマだろうが何だろうが嫌いなら嫌い、好きなら好きで・・・


もしトラウマであってもあまり気にせずにいた方が自然とトラウマのブロックが取り除けますよ!

 

実家暮らしを恥じる必要はない

よく実家暮らしされている方に対し、「自立していない」、「親に甘えている」という方がいらっしゃいますが、それぞれの考えや事情があるのではないでしょうか?


ましてやきちんとお金を入れているのであれば全く問題ないのでは?と私は思います。


特に実家が借金を抱えていたり、親が何らかの理由で働けない等でお金を多く入れないといけないとなると実家暮らしの方が良いですよね?


昔、一人暮らししながら実家に仕送りされている方がいらっしゃいましたが、フルタイムで働いた後、アルバイトを入れていたりで大変そうでした。

 


また、お金を貯めるために実家暮らしを選択されている方もいらっしゃいます。


何だかんだ言って一人暮らしするよりは家にお金を入れてでも実家にいた方がお金が貯まります。


将来的なことを考えてギリギリまで実家で暮らしてお金を貯める方が賢明という考えですね。

 


後は私が職場で出会った独身で実家暮らしの方(全員私より年上の方でした)は親が病気という方がほとんどでした。


ご両親が高齢であれば老々介護になりますし、独身だからこそ一緒に暮らしやすく、介護や家のことを手伝いやすくなります。


特に一人っ子だったり、他の兄弟姉妹が実家から離れて暮らしていたりすると尚更です。

 


もっと言ってしまえば親を介護することが今世での使命と関係あるということもあるかもしれません。


私も直近の前世で「両親を守ることができなかった」と言われたことがあります。


もちろんそれが本当なのか?は不明ですし、そのような使命があったとしても実行するかしないかは個人の自由だと思いますが・・・

 


他にも一人暮らしをする自信がなかったり、一人暮らしの生活に疲れた、一人暮らしをする理由が思いつかないという方もいらっしゃいます。


まずあまりに恐怖心が強く、自信がないうちに思い切った行動をしてもうまくいきません。


また、一人暮らしとなると経済的に余裕がないと生活が成り立たないということも珍しくありません。


であれば無理に一人暮らしする必要はなく、ある程度余裕が出てから考えれば良いのです。
実家暮らしの最大のメリットはお金を貯めやすいということです。

 


もちろん親子関係が良かったり、一人よりも家族と過ごす方が楽しい等で一人暮らしをする理由が思いつかないのであればわざわざ一人暮らしする必要なんてありません。


いずれにせよ今、実家暮らしであろうといずれは親と一緒に暮らすということはなくなるのですから今、実家暮らしだからああだこうだ言うようなことではないのでは?と私は思います。

 


最後に・・・一人暮らしは自立よりも独立という言葉の方が合っているのでは?と私は思います。