そう言えば学生時代はやりたくない側の気持ち、考えてくれなかったな・・・
職場だと苦手なことは代わってくれることあるのに・・・
と大人になってよく思います。
私は学校行事が全部大嫌いでとにかく関わりたくありませんでした。
歌を歌う際、口を大きく開けられない私は周りに批難され、怒られるのは当たり前・・・
文化祭の準備の時だって「こういうことは苦手だから無理」と伝えても「みんなでやろうよ」と言われる始末・・・_| ̄|○
「やらない」、「参加しない」という選択が出来ない学校では登校拒否やボイコットする勇気のない私は渋々参加するしかありませんでした。
出来ない側の気持ちは考えてくれないの?
出来ることだけ協力じゃダメ?
一致団結とかが嫌ってより、自分に出来ないことまで強制されることがしんどかった・・・
別に皆のことを邪魔する気なんてさらさらないってのに・・・
にもかかわらず非積極的な私は悪者扱い_| ̄|○
出来そうなことであれば協力するけど、自分の出来そうなことはなかった
とにかく変なことで目立ちたくない
だからやりたくない
それだけなのに・・・。゜(゜´Д`゜)゜。
やりたくない側の気持ちを理解していただける先生や生徒が一人でもいたら変わっていたかもしれませんが、人一倍恐怖心等が強く、上手く本音を言語化できない私に理解者は現れませんでした。
やりたくないと思う理由はそれぞれでしょうが、別に邪魔をしたいわけではありません。
ほとんどが本当に苦手とか興味ない等・・・個人的な理由なのです。
出来なかったりうまく出来ないから変に目立ってしまったり、恥ずかしい思いしたり、みんなに迷惑が掛かるから関わりたくなくなってしまうのです。
また、行事というより団体行動になってしまうと自分が上手く出せない等で団体行動そのものが苦手という人だっています。
あるいは自分の希望に叶わなかったからこそ、不満を感じているかもしれません。
たとえば合唱祭だとパートの振り分けが不満とか曲が気に入らないとかが思い付きます。
本人なりのやりたくない理由があるにもかかわらずそこを無視して強制されたらなおさら嫌になりますよね・・・
音程的にアルトの方が合っているんだからとか多数決で決まった曲だから仕方ないとか色々あってもそこでシャットアウトしてしまっては不満は残るままです。
他にも一致団結とか絆とかが馬鹿らしいという理由もよく聞きますが、それは二次的な理由であり、根本は「苦手なことや興味ないことまでやりたくない」です。
そこを理解していただけなく、寂しさを感じてしまい、「一致団結なんて馬鹿らしい」と思ったり、最悪、「邪魔してやる」となってしまうことはあると思います。
苦手なことや嫌なことまで強制させられてしまえば一致団結はできませんし、絆も何もありません。
大人になってから「あの中で嫌々参加している子がどれぐらいいたんだろう?」とか「自分の子供が参加したくないと言ってきた際、親としてどう伝えているんだろう」と思うことがあります。
おそらく嫌々参加している子がいるという時点で「学校だから仕方なく渋々やっている」と考えている子は他にもいるはずですし、相手側も「本当はやりたくないけど・・・」的な考えが奥底にあったかもしれません。
さらには出来ないことを批判したり、無理矢理直させるような行為があると恐怖心やら劣等感が生まれますので楽しめず、協力からは遠ざかります。
だからいつまでも平行線で結果的に満足した結果は得られないのですよね・・・
エゴや強制感からではなく、「苦手だけど本当は好きだから参加したい」、「本当はクラスみんなで楽しみたい」というような純粋な想いがあれば最終的には協力してくれるような流れになります。
前にドラマで合唱コンクールの話があったのですが、音痴が理由でなかなか練習に参加してくれなかった男子生徒と「クラスみんなで参加したい」という想いが人一倍強かった合唱コンリーダーがいたのですが、結果的に参加してくれるようになりました。
何故そうなったかは参加したくない理由を否定せず受け入れてくれたもう一人のリーダーがいたというのもあったのですが、本音としては「参加したい」という意見が一致したからこそ、そのような流れになったのだと思います。
合唱に限らず、「クラスみんなで参加したい」という考えはエゴというか、参加したくない側にとっては鬱陶しい話です。
しかし本音が一致しなければそのような人は現れない、現れたとしても何らかの学びのために現れているはずなのでそこでいかに本音を貫き通せるか?かもしれません。
学校行事は通常の勉強では学べないことはたくさんありますが、「やりたくない」という意識が強ければ学びも何もありません。
非積極的な人にも協力していただきたいのであればまずはやりたくない理由を聞くことが第一ではないか?と思います。
しかしそこで「みんなでやろうよ」とか「嫌でもやらなければダメ」等と否定してしまっては余計話を聞き入れてくれません。
非積極的な側も「本音話してもどうせ無駄だろう」となかなか話さないということがほとんどだと思いますので、否定せず話を聞くことが出来る人に聞いていただいた方が良いです。
その上で「出来ないなら自分の出来ることだけ協力してくれたら良いよ」とか「もしどうしても嫌なら無理に参加しなくても大丈夫だよ」等と伝えたら相手の考え方も変わるかもしれません。
ただ「参加しなくても・・・」は何かペナルティを感じると思いますのでそこは上手く伝えた方が良いでしょう。
私もいきなり「じゃあ参加しなくて良いよ」なんて言われたら参加しないことで悪い成績を付けられる等の恐怖を感じていましたし・・・
この役目は担任の先生が適任であり、本来であれば非積極的な側の考えも理解してその上で「どうするか?」を考えるのも先生の役割だと思うのですが、今の時代でもそこの配慮が出来ない先生は多いかもしれません。
実際のところ、よっぽどな先生でなければペナルティも何もない・・・ただ「参加しなかった」で済むのかもしれません。
内申書では行事に関する項目もあるようですが、上手く書いてくれたり、それほど気にしない学校もあると思います。
もっと言ってしまえば参加しなくても当日は他の教室で自習してもらうとかの選択があっても良いと思います。
修学旅行みたいに参加しなくても教室で自習すれば出席に含めるみたいにすればペナルティも感じにくいでしょう。
ちなみに合唱であれば音痴等でどうしても歌いたくなければ不参加までは行かなくても口パクで参加したってバレませんから・・・
その代わり何か別のことや別の機会に協力できそうなことがあればその時に協力していただくようにお願いするとかはアリだと思います。
たとえば合唱は苦手だけど、絵を描くことが得意であれば修学旅行のしおりの表紙とか文化祭のチラシ作り等で貢献できます。
目立つようなポジションは苦手だけど、裏方の仕事で出来そうなことがあればそれをお願いするとか・・・
私も文化祭でチラシ作りの他、接客や調理も嫌だったので洗い物に専念していました。
別に誰かに言われてそうしたわけではなく、すべての行事が嫌いな私でもこれだったら出来るだろうって感じで動いていたので周りがどう思ったかはわかりませんが、どう思われようと関係ありません。
もし自分で何が出来るかわからなければ先生でも生徒でも誰でも良いので「こういうことできる?」って感じに聞いてあげるとか・・・とにかく出来そうなことを引き出してあげたら良いのではないでしょうか?
その上で本当に何もなければ無理に参加させず、当日は居場所に困らないよう、他の教室で自習してもらう方がお互いに良いと思うのです。
苦手なことを無理矢理やらせるより、本人の得意なこと、別の機会で何か貢献できそうなことがあればそこで貢献していただく方が賢明ではないかと私は思います。
一人一人得意不得意がありますので、本人の得意なこと、出来そうなことで貢献することで協力につながりますし、本物の絆が生まれるのではないでしょうか?
とはいえ、体育祭や合唱祭等、学校行事のほとんどはそれぞれ得意な子しか楽しくないと思うので行事ではなく、やりたい子だけ集まってやるというのが理想です。
最近、小学校の運動会が午前中で終わりになったという学校が多くなりましたが、これだけでも大きな進歩かもしれません。