The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

年齢が上がるにつれ生きやすいと感じるようになる

私は今まで自分の年齢をそれほど恥ずかしいと思ったことはないかもしれません。


だからってここではハッキリと公表はしませんが・・・


たまに年齢を教えない方もいらっしゃいますが、私は相手が年下だろうと堂々と公開しちゃっています。


特に女性は30代後半ぐらいになると公表したくないという方が多そうな感じはしますが、それでも私は気になりませんでした。


今まで自分より年上の方とお仕事することが多かった、今の職場は年下多くても年の近い方もいらっしゃるので別にって感じなんですよね・・・

 


私がここ数年で思うのは年齢が上がるにつれ様々な経験を積み、「まあ良いか・・・」的に思うことが多くなり、生きやすくなってきているという感覚があるので年を取ること自体、悪いことばかりでもないのかな?って・・・


例えば若い頃は言葉遣いとか目上の方の対応とか・・・色々気にしていたけど、今となっては年齢が上がり、それほど気遣う必要ないのかな?って思ったり・・・


仕事もたくさんの職場を経験したからこそ、それが今となっては自分のスキルになり、そこで様々な方と出会ったことで良い面を吸収していったり・・・


色々経験の浅い若い頃ではとても考えられないことが今となっては場数を踏み、経験という形で力になっていると言うか・・・そんな感じでしょうか?


私の場合、レイキ等に出会い、過去の生きづらさを解消して行っているので考え方の影響も大きいのですが、やはり若い頃よりも色々経験を積んだ年頃の方が生きやすいと感じることが増えて来るのでは?と思います。

 


確かに毎年のように「もうそんな年か・・・」、「永遠の28歳でいたい」と思うことはありますが、所詮はただの数字だよねって・・・


ちなみに28歳としたのはそれ位が若過ぎず、ちょうど良い年頃というのが昔からなんとなくあったという感じです。


これから先、50代、60代と年齢上がって行っても年を取った自分ってのがいまいち想像つかないです。


過去生・・・昔の人ってそんなに長生き出来なかったはずなのでせいぜい40代、50代ぐらいまでとしか思えなかったりするのでそこから想像つかなかったりします。

 


とはいえ、もうすぐ1つ年を取る私・・・そろそろ教えなくなるだろうか???


若い頃は今の自分の年齢はいかにもおばさんと感じることが多かったですが、もう自分がその年になってしまったんだなって思うこの頃・・・( ̄▽ ̄;)


しかしその反面、今となってはまだ若い方にも感じてしまうこともある訳であって・・・


自分がその年になったからってのもあるかもしれないけど、最近はどの年代でも大体、若く見える感じがするので見た目だけでは年齢がわかりにくかったりします。


外見は母からは年相応とは言われますが、私の中では独身も手伝ってか実年齢よりは若いと思っています。


そんなこともあってか、自分のことは「おばさん」と言う気になれなかったりします。


ちなみに私の父と母も昔から実年齢より若く見られることが多かったです。


やっぱり自分のやりたい仕事していましたし、職業的な理由もあるかもしれません。

 


ちなみに魂年齢(ソウルエイジ)だとどうやら私はまだ実年齢より魂年齢の方が年上の可能性が高いっぽいです。


マチュアソウルは25歳~45歳ぐらいまで、オールドソウルはそれ以降とあるのですが、これ、実際ははっきり区分化されておらず、お互い、溶け込んでいる感じになっているそうです。


マチュアとオールドのちょうど中間にいる私としてはだんだんとマチュアの要素が薄れていく感じなのかもしれません。


中間だからマチュアもまだ濃い方なのかもしれん・・・だから全然オールドらしくないところあるけど、これも私なのです。

悪口のつもりはなくても悪口と解釈されることもあります

「他人の悪口は言ってはいけない」という言葉は誰しも一度は聞いたことあるのではないでしょうか?


しかし悪口に限らず批判もそうですが、多かれ少なかれ誰しもネガティブな発言をしてしまうことはあります。


事実は言っても悪口は言わないという話もありますが、言葉はナイフ・・・事実であろうと傷になることはあります。


伝え方によって左右されることもありますが、相手の言葉の解釈の仕方やその時の心境により悪口や批判ととらえてしまうこともあります。


なので私はよっぽどでない限り、相手が悪口と解釈すればその感覚は否定しません。


相手がそう解釈してしまうなら仕方ないって言うかなんて言うか・・・


わからせるみたいな伝え方では押し付けになってしまいますし、分かり合えなければ割り切ることも必要なのかなって・・・


押し付けになってしまうとエゴになってしまうのでなおさら理解し合うのは難しいです。


いじめだって「いじめではない」と言い張っても被害者側が心身の苦痛を感じればいじめになってしまいます。

 

実際のところ、悪口も批判も事実もそれほど大差はない?しいて言うなら事実であってもエゴが入るか?の違いかもしれません。

 


私も普段からネガティブに解釈してしまいがちなのでだからこそ、直接伝える時は相手がネガティブに聞こえないような伝え方をしていきたいと思いますし、それが出来る方は素敵と感じます。


ネガティブに聞こえないような伝え方は半分は共感し、自分なりの考えをさらっと言うみたいなイメージと感じています。


とはいえ、やはり言葉の解釈の仕方等はそれぞれなので完全には無理ですが・・・


特に文字だけでやり取りするブログやメールだと難しいかもしれません。

 


悪口になってしまう理由は色々あるでしょうが、大雑把に価値観の違い、合う合わないなんですよね・・・


周りが自分と同じ価値観だったり、相性が良い人ばかりであれば悪口になるようなことはほとんどないでしょうが、それでも学校や職場となると1人や2人、合わない人は出て来ます。


極力、関わらないようにできればそれが一番でしょうが、その人とペアで仕事とかとなると難しいところです。

 


特に悪口とか批判のつもりはなくても事情を知らなかったり、固定観念が強いと悪口みたいに聞こえてしまうこともあります。


過去に退職する派遣社員に対し、「普通、次の職場を決めてから辞めるよね?」と私に言ってきた社員がいらっしゃいました。


派遣の場合、直接雇用程、入社日を待っていただけることが少ないため、次を探してから辞めるというのはなかなか難しい話です。


ましてやその派遣さんは完全な自己都合ではなく、一時的な事務所移転の際、通勤が困難になってしまうため、退職を選択せざるを得ない状況だったのです。


一時的な移転の話を知らされてからの期間もそう長くはなかったかもしれません。


当時、私自身も同じ状況で数ヶ月後には退職予定でしたが、あまりにひどい言葉だと感じました。


その旨を私が唯一、信頼していた上長に話したところ、「事情を知らなかったんだろうね・・・」、「『派遣社員』という雇用形態の事情を知らないことにより、自分も傷付けてしまっていることがあるかもしれない」というような言葉が返って来ました。


その話を聞き、「それは誰しもあり得る話かもしれない」と思いました。


確かに事情を知らないとどうしても自分の知識と経験の範囲内の考えになってしまうのですよね・・・


自分が経験したことない状況はなかなか理解しづらいのでもし、そのような理由で誰かを傷付けてしまったと感じたらあまり自分を責めず、色んな事情の人がいるという学びと思えば良いのではないでしょうか?

 

そして受け取る側も事情を知らない人もいるということを認識しておけばちょっとは楽になるのかな?って思います。


ただこの時は私が事情を説明してもその社員はとても理解されていなかったのでたとえ派遣以外の雇用形態であろうと退職=次を見つけるが固定観念でそれ以外は考えられない感じではありましたが・・・

 

 

もし本当に他人の悪口を言わない人であれば「他人の悪口を言うな」、「悪口言う人は最低」的な言葉は出て来ないと私は思います。


そもそもそれらの言葉自体も相手を批判していることになりますから・・・

 

先ほど挙げた上長さんも悪口や批判はもちろん、それらを言う相手すら批判しない方でした。

 

しかし先程書いたとおり、発言する側が悪気がなくても知らないうちに不快にさせてしまうことはどんな人であってもある話です。


本当に悪口を言わない人はその辺を理解されているのかもしれません。

 

もちろん悪口等を言う側を批判しないからと言って100%悪口言わないという訳ではありませんが・・・


こんなこと書いている私だって誰かの悪口とか批判を言うことありますし・・・

 


ちなみに私は他人の悪口、別に言っても良いんじゃない?って思っています。


それで発散でき、犯罪的な行為にまでならなければまだ可愛い方ではないでしょうか?

 

不満は溜めてしまうとどんどんエスカレートし、最悪、病気になってしまうこともありますので少しずつでも出していった方が良いと私は思うのです。

 

誰かの悪口は自分の悪口を言っているようなことという話もあり、確かにそうなのかもしれませんが、それはどうなんだろう?「禁止」みたいな感じに無理に抑えなくても良いのでは?と思います。

 

悪口を言う側にとってはそういう時も必要って言うか・・・たくさん吐き出すことによりそこから気付きを得ることもあるでしょうし、それぞれ段階もあると思います。


それをシャットダウンしてしまうのが一番良くない気がします。

 

もし吐き出せる相手がいない、吐き出しづらいのであれば自分だけの秘密ノートみたいな感じに書いて吐き出すことをおすすめします。


ただし本人の前では言わない、近くでコソコソもNG・・・本人のいないところで言うが鉄則です。


言う相手も出来れば部外者が良いです。


悪口は無理に抑える、気を付けるよりも自然と言わなくなるのが自然なのでは?と私は思います。


実際、このような話もあります。

president.jp

 

 

批判も正義感が強いからこそ言ってしまうということもあると思います。


そもそも批判の意見があるからこそ、自分も同じ考えだったとかその意見を参考に出来るってこともあると考えると悪いこととも言いきれないこともあります。


ただ批判もエゴになりやすいので本人の前ではむやみに言わない方が良い。


打ち合わせとかの場でどうしても言わないといけない時は一つの参考的意見みたいな感じでさらっと・・・

 

フォローを入れたりして相手を全否定するような感じで終わりにするようなことはしない方が良いでしょう。

感謝の気持ちは「ありがとう」という言葉だけで表現されるとは限らない

感謝と言えば「ありがとう」という言葉が真っ先に思い付きます。


しかし感謝は必ずしも「ありがとう」という言葉だけに当てはまることではありません。


別の言葉・・・「感謝します」等で言って来ることもあります。

 


チャットであればスタンプや絵文字、顔文字で表現することもあるでしょう。


ちなみに私は仕事でteamsでやり取りする際はスレッドが長くなることを考慮し、ハートマークで反応することがあります。


最初はハートマークは変な誤解を与えそうな感じがしていいねボタンで反応していたのですが、ハートマークで反応される方は男女や年齢問わず、何人もいらっしゃり、「感謝の気持ちを伝えたいときってハートマークの方がより伝わるかも?」と思い、私もハートマークで反応するようになったのです。

 


あるいは言葉でなく奉仕等、別の形で伝えてくれることもあるでしょう。

 

どのような形で感謝の気持ちを表現されるか?はそれぞれなので必ずしも自分の望むような形で返って来るとは限りません。

負けず嫌いになってしまったのは成功体験が乏しく、自分が優位になれることが欲しかったから

子供の頃、よく負けず嫌いと言われていました。


大人になっても得意なことに関しては負けたくないって思いはありました。

 


何故負けず嫌いになってしまったのか?ですが、根本的に勝つ経験・・・自分が優位になれることが欲しかったんです。


私は子供の頃から何をやっても上手く出来なかったり出来ても遅いということが多く、成功体験もなかなか感じられませんでした。


何かで誰かに勝ったことすらない私は「一体なんだったら勝てるの?」、「自分が優位になれることが欲しい」って思うことが子供時代は特に多かったのです。


周りからも「こいつになら勝てる」みたいな風に見られていたのも大きく影響しています。


ドラえもんで言うとのび太君のような存在だった私はのび太君が泣くような話で終わってしまうのは凄く嫌でしたね・・・

 


勝ち負けにこだわったって仕方ないとか色々あるかもしれませんが、そういう問題ではなかったのです。


子供の頃がそんな感じだったので大人になっても「自分には優れていることが何もない」、「自分は何をやってもダメ」って劣等感が常にありました。


自分の得意なことであっても「自分が問題なく出来ることは皆、当たり前のように出来る」という思い込みが強く、なかなか「得意」とは言えませんでした。


例えば簡単な計算問題なんかは「こんな簡単な問題で間違えたら恥ずかしい」みたいな感覚でいたのです。


だからと言って逆の立場になった際、他人にそれを指摘するようなことはしませんでしたが・・・


今までの出会いから本当にそれが苦手だったら間違えることは多いでしょうし、ケアレミスは得意であってもあり得る話ということを見ていくうちにその思い込みは解消していきました。


しかし自分が得意であれば「自分にはこれしかないから負けたくない」みたいな感覚がありました。


得意なことが少ないからなおさらそう感じちゃうんですよね・・・

 

そうは言っても上には上がいる・・・自分自身もそこまで追いつかない→やっぱり自分には何もない_| ̄|○

 

というループはなかなか消えませんでした。

 


レイキやアクセスバーズをやるにつれ、そのループはだんだんと解消していきましたが、結果的にそうなってしまうのも自信がないからなんですよね。


で、自信がない→経験が乏しいから確信が持てないなので「自信持って」と言われても困る訳であって・・・


その解消と同時に「自分にはこんな良い面もある」と気付かせてくれるような方に出会うことが多くなり、今に至ります。


負けず嫌いになってしまう理由は育った環境等、他にもあるでしょうが、私の場合、成功体験の乏しさや自分が優位と思えることが見つけられなかった・・・それを否定していたのが反動だったのです。