The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

本当に「自信」という言葉を理解し、体現できている方は「自信」という言葉は使いません

私は学生時代から先生に「もっと自分に自信を持ちなさい」と言われることがあり、大人になっても言われることがよくありました。


しかし私にその言葉は響きませんでした。


普段からなんとなく使われる言葉ですが、「自信を持つ」という意味がよく分からなかったのです。


自信とは自分を信じるとも聞きますが、それでも自分の中に落とし込むことはできませんでした。

 


そんな訳でだんだんと「自信を持ちなさい」と言ってくる方は本当に「自信を持つ」という言葉の意味を分かって言っているのだろうか?って思うようになりました。


そもそも本当に自信のある方は自信云々言わないのでは?と・・・

 


そして最近、その私の違和感は間違っていないということを知りました。


最近、目にした話で「本当に『自信』という言葉を理解できていたら『自信』という言葉はなくなる、『自信』という単語が出てくる時点ではまだ本当の意味で理解できていない」という内容でした。


私自身、以前からなんとなくそう思っていたのでこの話には非常に共感できました。


「自信」という言葉に限らず他の言葉にも言えることですが、本当にその言葉の意味を理解し、体現できている方はその言葉をむやみに使うことはしないような気がするのです。


ボキャブラリ的に思いつかず、そのような言葉を使ってしまうということは私もありますが、便利な言葉は本来の意味と違った方向に行くこともあるのでむやみに使うのは要注意なのかな?と私は思います。

 


私も昔に比べ大分余裕が出てきたので当時、「自信を持ちなさい」と言って来た方と再会したら「自分に自信が持てるようになってきた」と思うかもしれませんが、やはり自分で「自信」という言葉を使うのには抵抗を感じます。


あえて「自信」という言葉を使うのであれば「根拠のない自信」が増えてきたという感じでしょうか?


しかし私の中では成長するにつれ色々な経験を経て、知識も増えてきたからこそ、「何とかなるだろう」という余裕が出てきて本来の自分が出せるようになったという感じですね。

話すことが苦手なら文章を書けば良い

私は物心ついたころから話すことが苦手です。


なので文章書けるようになりたい!という気持ちが大人になってから強くなったのと、元から文章書ける人って素敵だなと感じることがあったので文章書けるようになれたら良いなとなんとなく思っていました。

 


そんなある日、自分が興味を持っている分野についてブログを書いていたところ、書くことにより言いたいことが言いやすくなったということに気づきました。


なら話すことが苦手なら文章を書けばいいんじゃないかなって・・・


しかし話すのも苦手だけど文章書くのも苦手って方もいらっしゃいますよね・・・


はい、私もそうでした。


作文とか感想文とか何書いて良いかわからず、親に書いてもらっていたぐらいの私が文章書くなんてありえないって昔は思っていました。


それだけでなく活字が苦手なので本も読まないし、語彙力も全くないし、文章力ゼロだってのに・・・

 


でも自分の興味あることであれば書くって楽しいって感じたのです。


文章にすることにより、心も整理できますし、「スッキリした~(*^^*)」って解放感もあるのでそういう感じになるのも好きです。


昔、「思ったこと書けば良いんだよ」と言われても全くできなかったのですが、今となっては本当にそのとおりだなと思っています。


しかも思ったことを書くって本当に楽しいなと今では思います。

 


私の場合、元から人にモノを教えることが好きなので特にそう感じるのかもしれません。


作文や感想文は嫌いだったけどブログは好きという方は自分が興味あることだから書けるのかもしれません。


学校で書かされる作文や感想文は興味のないことも課題にされたり、あれこれ注意されることもありますから余計に嫌いになっちゃうんですよね。

 


それから書くのが苦手な理由として恥ずかしいってありますよね・・・


私も何かを表現することが大っ嫌いなのでこれ、痛いほどよくわかります。


こんなこと書いて誰かに馬鹿にされたら嫌だとか恥ずかしいとか・・・


学生時代、発表して馬鹿にされた経験を持っている方とかは特にそういうトラウマ持っちゃいますよね。


けどね・・・


あなたに共感してくれる方は必ずいらっしゃいます。


誰も共感してくれないから自分がおかしいのか?とか思う必要はないんです。


「なんか矛盾している」とか「何が言いたいかわからない」、「読みにくい」とかそんなの考える必要ないんです。


読む側は1つの記事だけで読み取っているとは限りません。


記事に対して共感できるというだけでなく、表現の仕方に親近感が沸いたり、読みにくかったりしても何かあたたかいものを感じたり・・・

 


私の文章も日本語や文章構成がおかしいとかで小学生の作文レベルな文章かもしれませんが、それは愛嬌です。


このブログの一つ一つの記事は私にとっては作品であり、記事の内容によっては意図的に表現を変えたりしています。


それから「これを伝えたい!」という気持ちや楽しんで書いた方が伝わるのかな?と私は思います。


逆の立場であってもきちんとした整っている文章より、愛嬌を感じる文章の方が私は好きです。

 


で、何を書けば良いか?は本当に何でも良いんです。


自分が興味あることでもその日にあった出来事であっても・・・

 

自分の気持ちを吐き出すのだって良いんです。


とにかく自分が書いていて楽しいと思えればどんなことでも良いんです。

 


もちろんブログみたいに公表する必要はありません。


日記のように誰にも見られないように書いたって構いません。


公表しようがしまいが、書くことには変わりはないのですから・・・


ソウルプラン・リーディングでも表現することが苦手というチャレンジを持っている方は日記を書いてみることがおススメとのことです。

 


私はブログとは別にその時、吐き出したいことを正直な気持ちで日記のように書いているのですが、これも非常に役立っています。


その時の正直な気持ちなので嫌なことがあれば荒い言葉を堂々と使って書き殴ることもあります。


ちなみに手書きは苦手なのでExcelに打ちまくっているという感じですが・・・


こんなことを聞くと怖いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、誰にも見せないモノであり自分の正直な気持ちを大事にしたいのでそこに嘘は必要ありません。


正直に吐き出すことにより、スッキリしますし、ブログのネタに発展することもあるのでブログのネタにも役立っています。

 


私は文章を書くようになったことで自分の正直な気持ちを伝えることが出来るようになりました。


特に何か辛い思いをした等の時は口頭で伝えるよりも文章にして伝えた方が感情も抑えられ、ちょっと冷静になれたりもするのでその点でも文章で伝える方がおススメでもあります。

 

誰かの信者になるのは危険

私は誰かの信者(特定の誰かを信じる)にはならないようにしています。


というより信者になれないタイプだなとつくづく感じます。


私はどんな方であろうとどこかしら「なんか違う気がする」と思うことがあるからです。


こんなことを書いてしまうと、「自分の都合の良いことしか取らない」と思うかもしれませんが、確かに自分でもそう思ってしまうことはよくあります。

 

チャネリングメッセージの存在を知った当初、ある一人の方のブログで「何だか冷たい言い方で不快だし、信じたくないけどいかにも本当なのでは?という感じに書かれているから間違いないのかな?」とイライラしながらブログを見ていたことがありました。


その後、別の方のチャネリングメッセージ等を見るうちに「やっぱ私の違和感、間違っていなかったんだ・・・」と思うようになりました。


今思えばその方自身の私感が強かったというか、努力等、地球的な考えも混ざっていたり、間違ったメッセージもあったのです。


また、チャネリングメッセージはチャネラー側のフィルタが掛かるのでたとえ同じことを伝えていても発信者側の伝え方や言葉のニュアンスの違い等で違った解釈になってしまうこともあります。


チャネラーさんによっては得意不得意の分野もあるはずなのであちこちの情報から自分で納得のいく情報を得るようにしています。

 


逆に情報を受け取る側も「どんなことを伝えているのか?」という発信者側の意図等を考えることが必要です。


下記の記事で情報を受け止めることについて書かれていますが、確かにそうですよね。

佳子さま「情報の信頼性や発信の意図を考えることが大切」と言及も 引用不正確な記事が出回る(楊井人文) - 個人 - Yahoo!ニュース

 


また、専門家やプロという肩書があっても考え方は異なります。


アトピーの治療も「アトピーは保湿が大事だから」と保湿剤をたくさん処方するお医者さんがいらっしゃいますが、「保湿はかえってアトピーを悪化させる」という理由で保湿剤だけでなく塗り薬も出さないお医者さんもいらっしゃいます。


どちらも医師免許をお持ちなので専門家であることには変わりありませんが、同じ専門家であっても意見が真逆なこともあります。


その時、どちらの意見を信頼するでしょうか?


私は何を塗っても痒くなるので「保湿が大事」ということはとても信じられません。
寧ろ外部から保湿するよりも体内の水分で十分なのでは?と感じています。


本当に水分が不足している方であれば保湿することで改善することはあるでしょうが、他の原因であれば悪化する可能性があります。


悪化してしまうのであれば保湿も何もなく、逆に皮膚を傷めつけているようなものです。


特に皮膚に敏感な方は最初は何でもなくても使っているうちに合わなくなるということもあるのでやはりその方に合った治療法を提供していただけるお医者さんが一番ではないでしょうか?

年賀状にこだわる必要はない

そろそろ年賀状のシーズンですが、年賀状が面倒という方も多いと思います。


私は過去に親戚や母の友達の分を作成していましたが、作成することが嫌になってしまい、10年近く前に完全に止めてしまいました。


その代わり母は年が明けたら直接、電話で話したり、メールを送るようになりました。
また、コロナの影響等でここ最近はありませんが、年明けに直接会うということもありました。

 


そうなんです。
別に年賀状にこだわる必要なんてないのです。


特に滅多に会えないような友達であれば年賀状よりも直接電話したり、会って話した方が喜ばれると私は思うのです。

 


年賀状を止めるには年賀状をこちらから出さなければいずれは送ってこなくなるでしょうが、相手がいつまでも送って来るからなかなか止められないという方もいらっしゃるかと思います。


私も実際、経験したことがありますが、その場合は正直に年賀状を止めたい旨を伝えるしかありません。


特に年賀状のみのやり取りしかしておらず、それで疎遠になってしまえばその程度の関係なのです。


年賀状を止めることにより人間関係の断捨離につながることもあります。

 

「今どきの若いモンは」の登場人物をソウルプラン・リーディングしてみました

もう一つ、私の好きなマンガである今どきの若いモンはの登場人物をリーディングしてみました!

今どきの若いモンは | サイコミ

 

ということでまずは主人公の麦田あゆみさんから・・・
まず物質世界のチャレンジに入っていた数字は自分の人生において構造が欠けている可能性があったり、喪失に苦しむことが多かったりすることがあります。
ストーリーを見ると失敗しながらも頑張っているイメージのある麦ちゃんですが、回復力が早いのでこの数字がポジティブに動いている感じがします。
この数字の中には柔軟性や回復性という意味合いもあり、チャレンジの部分にあると回復力が弱かったりということもありますが、麦ちゃんは時と場合により、柔軟性がありますし、立ち直りも早いのかなと感じています。
また、きちんと体現できていれば学ぶことが得意な数字でもあり、実際、麦ちゃんは様々な上司から色々学ぼうとしています。
チャレンジの数字にもかかわらず、ポジティブな面を多く伝えてしまいましたが、チャレンジにあるからと言ってその数字のチャレンジで必ずしも苦労するとは限りません。
マイルドな感じで現れることもありますし、才能を生かすことによって良い方向へ進んでいくことも可能なのです。
この辺は上司である石沢課長の存在が大きいかもしれません。


物質世界の才能には良き上司をイメージする数字が入っていました。
麦ちゃんは会社の利益よりも人として正しいことをしたいという強い信念を持っているので非常に良い上司になる素質を感じます。
また、人間性を買われ、他のグループ会社に出向しているという点でも今後、グローバルに働いていくのかなと感じます。
麦ちゃんの物質世界のチャレンジでポジティブな面が多かったのも才能に入っているこの数字が大きく生かされているのかもしれません。


物質世界のゴールには数字は本当に人のために、助けたり、人を高めるということを目指すエネルギーの数字が入っていました。
麦ちゃんは不動産会社に出向した際、一軒家を買えないお客様にアパートや他社物件を紹介していたのですが、会社側としてはあまり好ましい行為ではありません。
しかしこの数字にあるとおり、会社の利益よりもお客様のために助けていますね。


精神世界のチャレンジには特にチャレンジにあると何かに狂信的になったりすることがある数字が入っていました。


精神世界の才能には才能にあると探求心が強く、生涯にわたり、学び続け、現役引退しないタイプの数字が入っていました。
麦ちゃんを見ているとその可能性はありそうですね。

 

 

続いて石沢一課長・・・
まず物質世界のチャレンジにはチャレンジに入っていると誰かと愛をシェアすることに抵抗を感じたり、愛を受け取ることが困難である数字が入っていました。
また、人からの誉め言葉をそのまま受け取るということが非常に難しいと感じる人も多いです。
石沢課長は離婚されており、部下とのやり取りを見ると確かに誉め言葉を受け取るということが苦手な印象があります。


物質世界の才能、ゴールには同じ数字が入っており、特に才能に入っていると洞察力があり、知性が高く、物事の理解が早いです。
まさに石沢課長は周りが驚くほどの洞察力があり、知的で物事の理解も早いのでそのとおりですね!
私もこの2ヶ所に同じ数字が入っていますが、石沢課長ほど洞察力、ありませんよ・・・


精神世界のチャレンジにはチャレンジのポジションにあるとグラウンディングが苦手な傾向がある数字が入っていました。
また、スピリチュアルな本質に気付いていても人とシェアすることが面倒、スピリチュアリティに構いたくないという質が出ることもあります。


精神世界の才能には才能のポジションに入っているとスピーチが得意で、何か重要な必要なことを広く世間に伝えることが出来る数字が入っていました。
実際、下記、リンクの内容からまさに重要で素敵なメッセージを心から伝えていました。

就活マナーを気にする学生に「そんなマナー、私も知らない」 カッコいい課長の部下になりたい漫画 - ねとらぼ


非常に共感できるメッセージであり、私もこんなセリフ、言ってみたいです・・・

 

 

続いて恵比寿良二課長・・・
物質世界のチャレンジには忍耐力を意味する数字で特にチャレンジの場所にあるとかなり困難なエネルギーの数字が入っていました。
また、この数字は自分は重要な存在であるというような少々、エゴっぽい考えを持ってしまいがちです。


物質世界の才能には新しい考え方、新しい文化を知ることが得意で今まで知らなかったことを知っていくということが好きなタイプの数字が入っていました。
恵比寿課長は在宅勤務になってからどんどん新しいことを取り入れようとしている描写がありました。
また、この数字は戦争と平和を意味しており、ポジティブな側面を体現できていないと、自分の人生や生活においてたくさんの対立、葛藤、バランスが崩れている状態がたくさん現実化してしまいやすかったりします。
非常に融通が利かなかったり、大変頑固だったり、変化を拒むということもあり得ます。


物質世界のゴールにはこの数字が体現されていない場合、コミュニケーションを取るスタイルがちょっと硬いということがある数字が入っていました。
恵比寿課長は物腰柔らかそうでもパワハラ上司的な感じなのでどちらかと言えばネガティブな方に働いている感じです。


精神世界の才能には同じような価値観を持っている人をグループに集め、みんなが自分の中でしっかり統合されていくことを促すグループを運営することが出来る数字が入っています。
恵比寿課長は嫌われキャラではありますが、内心は部下とも良い関係でいたい、大好きなスイーツを部下と一緒に食べたいという思いもあるので今後、才能が上手く働くと良いですね。


実はこの3名、SDに入っていた数字が同じでしたのでここでまとめてご紹介します。
その数字は今生のうちに人間として生きているうちに完全に自分自身マスターしよう、やろうと決めたことは全部やろうと思っているから成し遂げようとするという意味を持っています。
3人ともそれぞれタイプは異なりますが、一度やろうと決めたことは全部やろうという意志が強いという印象はストーリーの中でも読み取れます。

 

★麦ちゃんと石沢課長はベストパートナー
麦ちゃんと石沢課長のソウルプラン・リーディングの数字を見てみるとまさにベストパートナーであることがわかりました!
まず麦ちゃんの物質世界のチャレンジの数字は石沢課長の物質世界の才能と同じ数字でした。
そして石沢課長の物質世界のチャレンジの数字は麦ちゃんの物質世界の才能と同じ数字でした。
一人の方がチャレンジのポジションにあり、もう一方の方が才能のポジションに同じ数字があるということは相手の不得意な面を補える解毒剤になります。
麦ちゃんが失敗しながらも常に前向きに進むことが出来るのも物事の理解が早く、鋭い洞察力をお持ちな石沢課長の存在が大きいのです。
愛を受け取ることが苦手な石沢課長も麦ちゃんの人柄で受け取り上手になれると良いですね!