The Space of Truth

自分なりの考え方等を綴っています。

「やりたいことがない」ということは決して恥ずかしいことでも悪いことでもない

私は学生時代、何も取り柄がなく、特別な才能もないので「将来、何がやりたいか?」とか「どういう仕事に就きたいか?」を決めることが出来ませんでした。


なので進学も就職も考えられず、とりあえず学校卒業後はアルバイト生活でした。  

 

 

世間では「こういう道に進みなさい」とか「この道の方が将来安泰だから・・・」と親から言われたという方もいらっしゃるかと思いますが、やりたいことがないということもあまり良い印象がなかったような気がします。

 

とはいえ・・・


やりたいことが思いつかないのは恥ずかしいとかの問題よりもどうしようもないのでは?

 

だって自分が何が得意とかわからないし・・・

 

もっと言ってしまえば見つけようと思って見つかるようなことでもない気がする  

 

 

やりたいことがなかったり、わからない方はとりあえず「やりたくないこと」、「苦手なこと」を選ばないところから始めると良いです。


まずやりたくないことは無理にその仕事をしていてもモチベーションが上がらず、なかなか継続することが出来ません。


次に苦手なことですが、世間一般的には「苦手なこともやるべき」という風潮があります。


しかし苦手なことはそう簡単には上手く行きません。

 

特にトラウマレベルで苦手なことであればなおさら上手く行きません。

 

ましてや仕事には報酬が付いてきます。

 

職場の教育体制がきちんとしていればそれほど問題ないのかもしれませんが、あまりにできなければ最悪、解雇になる可能性もあります。


であれば「できそうな仕事」、「得意なことが生かせそうな仕事」を選んだ方が上手く行く可能性は高いです。  

 

 

例えば接客業をやりたくなければ事務系や軽作業等の仕事を選べば良いのです。

電話応対が苦手であればデータ入力やOAを駆使した仕事等を選べば良いのです。

パソコンが苦手であれば接客業や軽作業系の仕事を選べば良いのです。

 

私自身も仕事探しは苦手なことは避け、できそうな仕事を選ぶようにした結果、最終的にExcelAccessを駆使することが多い仕事に辿り着きました。  

 

 

世間一般的な考えでは「その考えは甘い」とか、「やりたくないこともやるのが仕事」等、思うかもしれません。


しかし本来の仕事という意味は「自分の好きなこと、得意なことを提供しあうこと」です。


あなたが苦手と思うことは他の誰かが得意だったり好きだったりします。


逆にあなたが得意なことは他の誰かが苦手だったりします。


お互いが得意なこと、好きなことを提供することにより、相手の苦手なことを補うことが出来るのです。

自分が良いと思ったことを他人にやってあげれば良い

子供の頃、学校等で「自分が良いと思ったことを他人にもやってあげなさい」というような話を聞いたことがあると思います。


しかし大人になると「色んな方がいるから自分が良かれと思ったことを他人にしてあげてもそれがその方にとって良いとは限らない」という話をちらほら聞きます。


確かにこの話も理解できます。


だから人と接する際も色々と考えてしまい、人付き合いが面倒になってしまうということも珍しくないと思います。

 


しかし何年か前にいた職場で出会った先輩派遣さんの行動を見て「自分が良いと思ったことを他人にやってあげれば良い」で良いのでは?と思ったんです。


職場のトイレの洗面所が水でびしょびしょになっていたのですが、その先輩派遣さんはペーパーで拭いていたので「えら~い(*^^*)」と言ったら「だって自分がこうなっていたら嫌だから・・・」と言っていました。


それも自分が使う周りだけでなく洗面所の周りすべてだったのでそこまでやるなんて凄いって思ったんです。

 


自分が「この方、良いな」と思う方は一緒にいて居心地が良いですし、本来の自分でもあります。


であればまずは自分が良いと思ったことを他人にやってあげればそれで良いのです。


もし自分で良いと思ってやったことが相手にとって好ましくないということを知ったら別の方法で対応すれば良いのです。


あまり難しいことをああだこうだ考えずストレートに対応すれば波長の合う方が寄ってきます。

 


私は年上であろうが上司であろうが砕けた感じに接する方が本来のフレンドリーな性格が出て人間関係も上手くいきます。


若い頃は敬語が使えず、言葉遣いで注意されたこともあり、「これで良いのか?」と思い悩むこともありましたが、「どんな方と働きたいか?」、「どんな方と接したいか?」ということを考えればそのままで良いと思えるようになりました(*^^*)

いじめやパワハラは被害者側が悪い等の問題ではなく、エネルギー不足から起こること

いじめやパワハラという言葉を聞くとよくこんなことを目にしたり、聞いたりすると思います。


「やめて」と言わないからやめない
被害者側に原因がある

 


このような考えはいじめやパワハラの根本がわかっていないのです。


私はこれらの言葉は全く信じていませんでした。


「やめて」と言ったら止めた加害者を一人も見たことがなかったからです。


被害者側に問題があるというのも理解できません。


そもそも被害者側に問題あるからと言って何をしても良いという訳ではないのですから・・・


何故先生はそこが理解できないのか?と疑問を感じていました。

 


ターゲットにされる理由も理不尽な理由ばかりです。


ちょっと周りと違うから?
大人しいから?
仕事が遅いから?
言うとおりにしないから?

 


寧ろ加害者側の心に問題があるとしか思っていませんでした。


そもそも心に余裕のある方は誰かをいじめようと思うことはありません。


また、職場環境に問題がなければパワハラは起きません。


これらのことはなかなか周りには理解されずでしたが、今では確信できるようになりました。

 


今までの経験から加害者側は全員、家庭環境や職場環境に何らかの問題があり、心に闇を抱えている方だったからです。


たとえば・・・
ご両親の夫婦仲が悪い
親子関係が悪い
親や先生からの躾が厳しい
夫婦関係がうまくいっていない
上長もしくはトップがワンマン、気分屋、どうでも良いような細かいことをすぐ指摘する
職場、部署に理不尽なルールがある

 


となるといくら「やめなさい」と教育しても根本を取り除かないと聞いてくれなくて当然なのです。


ある意味、加害者も被害者みたいなものですから・・・


ご両親の夫婦仲が悪いと子供は居心地が悪くなります。


あまりに厳しい家庭環境で育つとセルフイメージが下がります。


逆らうことができないとストレスが溜まりますよね?

 


なので加害者側は自分を安定させようと自分より弱そうな方からエネルギーを奪うのです。


それがエネルギーバンパイアというものです。


何だか恐ろしい話ですよね・・・

 


そもそも学校の先生や職場の上長が「いじめやパワハラの根本が何か?」を知らなければ相談しても解決できないのは当然の話です。


仮に加害者側の家庭環境に問題があるとわかっていてもさすがに学校の先生が家庭のことを口出しする訳にも行きません。


何かあっても見て見ぬ振りしたり、何も対応してくれないのもある意味仕方ないことかもしれません。


いじめやパワハラの根本だけでなく、その対処法も知らなければどう対応して良いかわかりません。


ましてやいじめやパワハラに遭ったことなければなおさらな話です。

 


学校だと「登校しない」が一番の対応策ではありますが、学校の先生の立場としてはよっぽど理解がない限り、「無理して学校来なくて良いよ」とは言いにくいと思います。


だから自分を守る為にも学校側の意見は無視して「登校しない」を選ぶしかないと思います。


酷い先生や親だと「登校しないと内申点が足りなくなる」、「こんなことに負けていては将来、苦労する」等、その子の今の気持ちもろくに聞かずに将来的なことを言ってきたりもするかと思いますが、学校だけがすべてではありません。


最近は勉強できる環境はいくらでも選べる時代なので学校に固執する必要はないのです。


部活動も学校で入らなくても近所に自分が好きな運動のサークルがあればそこに入ったり、習い事をするという手もあります。


むしろその方がより専門に教えていただけますし、同じ目標を持った方たちに出会えます。


学歴も全く関係ありませんし、会社勤めだけが働く手段ではありません。


私も学生時代にこのことを知っていれば行きたくもない学校に行かずに済んだのかもしれませんが、当時は今以上選べる環境が整っていなかったり、周りの目もあったので行動に移しづらい時代でした。

 


スクールカウンセラーや職場に常駐している産業カウンセラーは多少は理解あるでしょうが、結局は学校や職場を第一に考えていますので表面的にしか対応されず、根本的な解決は難しいです。


いじめやパワハラがあると認めてしまえばその学校、職場の評判を落としてしまいます。


特に職場の場合、そのような方に頼る時点で上司は面白くないでしょうし、職場に問題があるってばらしているようなものですから相談したとしても居心地が悪くなります。


加害者よりもその上長やトップに問題があり、加害者自身も被害者だったりするので加害者を別部署に異動させる等の対応をしても今度は別の被害者が出てしまう可能性もあります。


となればそのような職場は早急に去る方が賢いです。

 


究極には今の学校教育や社会システムではいじめやパワハラをなくすことはできません。


学校もおかしな道徳がたくさんありますし、仕事の能力だって皆、同じではないにもかかわらず、平均的な能力を求められたりすることがありますよね?


みんなと仲良くしなさい

→人それぞれ相性があるのですからみんな仲良くは無理です!


好き嫌いせず何でも食べなさい

→嫌いな食べ物を無理して食べたって栄養にはなりません!


みんなできるのに何故あなただけできないの?

→人間誰しも得意不得意があります!


他にもこれでもか~!ってほど出てくるかと思います。

 


となるといじめやパワハラの被害にあわないようにするしかないのです。


よく「無視すれば良い」とか「気にしないようにすれば良い」って言葉を見かけますが、これは自分から意識して行動するのは難しいです。


やはり気になるものは気になりますし、怖いものは怖いです。


これは本当に痛いほどよくわかります。


ましてや落ち込んでいたり、セルフイメージが低いとなおさら悪い方向にしか考えられなくなったりします。


最悪、自ら命を絶つというようなことになってしまいます。

 


また、いじめやパワハラに遭った職場を退職した際、冷却期間を作るよりも早く新しい職場を見つけた方が賢明と聞きますが、そう簡単に前職の苦い経験を払拭することなんてできません。


それよりもまずは恐れを取り除くことにより、エネルギーを奪われないようにすることの方が先決です。


恐れを取り除き、エネルギーも補充することにより、同じ土俵に立ちにくくなります。
ここまで個人差もありますが、いずれにせよ少々時間が必要です。

良いクラスってどんなクラス?

中学時代、私がいたクラスはいずれも他のクラスから「○組、良いクラスだね」とよく言われていました。

 

そのたびに「良いクラスって一体どういうクラスが良いクラスなの???」と疑問を感じていました。

 


男女関係なしにクラス全員が仲良い?
いじめや仲間外れ、不登校の生徒がいない?
クラスが活気あり雰囲気が良い?
困っている子が居たら進んで声を掛け合える環境?
団結力がある?
お互いを認め合い、一人一人が居心地が良いと感じる環境?
先生や委員長の言うことをよく聞く良い子ちゃんばかり?

 


まず中1の時のクラスですが、特にいじめはなく、困っていたら進んで声を掛けるようなところはあったかもしれませんが、それ以外は普通だったと思います。

 

そして中2以降のクラスですが、これと言って特にありませんでした。

 

寧ろいじめがあり、他のクラスの子としか話さない子がいたり、登校拒否している子もいたりで「これで良いクラス?」と疑問を感じていました。

 

ハッキリ言って学生時代の中で一番最低なクラスでした。

 


いずれのクラスで共通して言われたのが合唱コンクールの練習会で良い印象があったそうなんです。

 

他の子から見たら団結力とかも感じたのかも知れません。

 

しかし私は「もう少し口を大きく開けて歌って」と言われても出来ないモノは出来ないで特に直しもせず、そのまま過ごしていました

→周りから見たらとんでもなく酷い生徒でしたね・・・

 

他にも何人か口の大きさのことを注意されていましたが、皆、そのままだったので「一体何を根拠に良い印象があったのか?」と疑問でした。

 


そんなある日、当時見ていたドラマで印象に残ったセリフがありました。


それが・・・

 

良いクラスより、幸せなクラスになろうな!

 


確かに幸せなクラスの方が環境的には良さそうな気がする
幸せであればいじめや仲間外れ、不登校の生徒なんて出ないはず
幸せであればクラスも自然と纏まりそうだ

 


そして大人になり、振り返ると「良いクラス」に定義なんてなく、寧ろあまり心地良い印象を感じないのでは?ということに気付きました。

 

世間で言う「良い」という方向にさせられている・・・「表面さえよければそれで良い」、「優等生な良い子ちゃん?」そんな感じだったなと思ったのです。

 

特にそう感じたのは何かのイベントごとの際、いくら嫌いなことでも「ちゃんとやって欲しい」と協調性を求められたりということが多く、イベント嫌いな私にとってそのたびに拷問と感じていたのです。

 


やりたくないと思う生徒の気持ちは無視されるのか?
そこで反抗する生徒は悪い生徒?
協調性のない生徒はダメな生徒?

 


協力してくれない生徒に苛立ちや寂しさを感じてしまうのが理解できない訳ではなかったのです。

 

また、学校のイベントは普通の勉強では学べないこともたくさんあるということも理解しています。

 

でも苦手なことはやりたくなかった・・・

 


就職したら「やりたくないからやらないなんて我儘は通用しない」とか「将来苦労する」という言葉をよく聞きます。

 

しかし人間誰しも好き嫌い、得意不得意があるはずです。

 

たとえば運動が得意だから体育祭は好きだけど、歌うことが苦手だから合唱祭は嫌いとかあるはずなんです。

 

私の場合、技能教科が全滅で団体行動も大嫌いだったので全部の行事がNGでしたが、そこを無視して全部強制参加ってどうしても理解できなかったのです。

 

だからと言って当時はそこに逆らって「参加しない」という選択をする勇気はありませんでしたが、今思えばたとえ義務教育であっても「参加しない」という選択もアリなのかな?と・・・

 


何故先生はやりたくない生徒の気持ちを聞いてあげられないの?
だから不登校とかいじめが増えるんじゃない?
だから先生は信用できないって生徒が増えるのでは?

 


学生時代からこのようなことばかり考えていました。

 

社会人になってからも「良い職場を目指している」的な職場には嫌悪感もしばしば・・・

 

そんな訳で自分と同じ考えを持った方やそんな自分でもアリと思えるような環境や人を探していましたが、いつまで経っても出会えず・・・

 

寧ろどんどん悪い方向に向かっていたように感じます。

 


しかしここ数年でだんだんと「やりたくないことまで合わせる必要はない」、「合わない環境からは離れれば良い」と思えるようになりました。

 

学生時代にこのような考えがスムーズに出来ていれば違和感の元凶となっていた環境や人には出会わなかったかも知れませんが、このような苦い経験があったからこそ、改めて「良い環境とかフォーカスせず、合わない環境からは離れれば良い」ということを強く伝えられるのかも知れません。

 

そんなことは大人だから環境が選べるわけであり、義務教育には当てはまらないのでは?と思うかもしれませんが、学生でも「私立の学校に通う」とか「フリースクールに通う」、「通信教育を受ける」等・・・選べる環境が昔よりも増えています。

 

いつか通学しなくて済むよう、オンライン授業が主流になる将来もそう遠くはないかもしれません。 

友達って必要?

「友達100人出来るかな?」という歌があり、この歌が大嫌いという話をよく目にします。


嫌いな理由はそれぞれかと思いますが、「友達のいない人や少ない人はダメなのか?」という印象を感じてしまうようです。


確かにこのような歌があるということもあってか、「友達はたくさんいた方が良い」という印象が根付いてしまっている気がします。

 


ちなみに私は嫌い以前に「100人って言ったら学年のほとんどになるのでは?」ということが気になっていました。


となると一度も話したことない子までも友達?


もっと言ってしまえば1学年1クラス数人しかいないような学校だと100人も何もないのでは?と・・・


って・・・ここまで考えて作詞したわけではないでしょうが・・・


どのような意図で作詞されたかはわかりませんが、「学校にいる子はみんな友達」ってことなんでしょうかね?

 


学生時代、クラスの子はみんな友達と思っている子がいましたが、私はそれってちょっと微妙と思っていました。


そんなむやみやたらに誰かを友達と発言してしまって良いのだろうか?と・・・


私は親しくしていた子でも友達と発言してしまうのが申し訳なく、自分からはなかなか言えませんでした。

 


そもそも友達の定義っていったい何でしょうか?


いつも一緒にいる人
何でも気軽に相談できる人
SNSで繋がっている人
クラス(職場)の人全員
一度でも話したことある人

 


友達と思えるのは上記2つが多いと思います。


SNSでつながっている人は交流の仕方にもよるでしょうが、メッセージのやり取りがほとんどなければ友達とは言えませんよね?


同じクラスや職場やサークルのメンバーはそれほど親しくない限り、クラスメイトとか仲間という感じだと思います。


一度でも話したことある人はとても意気投合してしまってすぐに友達になったということはあるでしょうが、初対面でそこまで行くのはほんの一握りだと思います。

 


そもそも友達って必要でしょうか?


確かに友達がたくさんいればいるほど困ったときに気軽に相談できる範囲は広いでしょうが、必ずしも友達でなければいけない訳ではありませんよね?


友達とまではいかなくても知り合いだったり、クライアントさんだったり、ご近所さんだって良いのですから・・・


私の家も出来ないことはそれができる近所の方や知り合いに頼むことがあります。


専門的なことは業者や公的な機関に相談すれば良いでしょうし、なかなか言えない相談なんかも自分に合いそうなセラピストを探せば良いのですから・・・


であれば友達はゼロでも特に問題はないのでは?と私は思います。

 


もっと言ってしまえばどこまでを友達と定義するかは人それぞれなので一概に「友達はいた方が良い」とは言えないのでは?と思います。


友達はいらなくても親友は欲しいという考えもあるでしょうし、パートナーや家族がいれば十分という方だっていらっしゃいます。


友達がいらない理由としては人間関係が面倒とか依存関係になってしまうのが嫌とか色々あると思いますが、この辺は個人の自由です。


一人でいることが好きという方だっていらっしゃいます。


逆に友達がいる人は依存しやすいとかいない人は孤独というデメリットも一概に決められることではありません。

 


また、独りぼっちとか孤立という言葉はあまり良いイメージがないと思う方は多いと思いますが、これらは地球にいるからこそ経験できることという話を最近、知りました。


そう考えればマイナスなイメージは減るのではないでしょうか?